恋の罪

愛のむきだし」でガツンとやられて以来可能な限り劇場で観ている園子温作品。もう安心の園クオリティといいますかね。冒頭にでてくる「A SONO SION MOVIE」の筆文字にますます力強さが増してきてる気がします。

で、今回の作品。女性目線からの「冷たい熱帯魚」、女性版のでんでんが出てくるという噂は聞いていた。なるほど、女版でんでんこと、冨樫真はすごかった。

東電OL事件に着想を得たという本作で、被害者となった東電OLを思わせる美津子役を演じた冨樫。作中では大学文学部の准教授という設定に変更されているが、その大学での凛とした姿と夜の円山町での妖艶な姿の二面性には震えがきた。「お前はここまで堕ちてこい」と神楽坂恵に凄む表情。バックでがんがん突かれながら高笑う姿。そしてもちろん、あの小説家の首を締めながら縦に横に腰を振り続ける姿。狂気が宿るなどという使い古された言葉では足りない。どれほどの覚悟があればあんな演技になるんだという驚愕の狂気。園さんの映画では毎回爆発する役者がいるが、今回は文句無く、冨樫さんがその役回りを担っている。

監督がベタ惚れしたあげく結婚してしまった神楽坂恵もまた。持ち前のサービス精神というか何というか。豊満なおっぱいを見せつけての大迫力の演技。正直いって顔とかスタイルでいえば僕はタイプではないのですが、それでもこれは惚れるよねって表情を見せている。園さんはいつも惚れた女性を美しく撮るよね。

でも個人的には水野美紀が良かったな〜。あの疲れた感じ。体の奥にこびりついた倦怠。共感できるわ〜(笑)。この映画は冒頭から水野さんのフルヌードエッチでございましてね、いやはやびっくりというか、ありがとうございますというか、あの廃屋での雨漏りのシーンでは思わず、、、以下自粛

で、そんな三人の怪演によって「堕ちていく」女性を描いた本作なのですが、ひりひりとする切実さとともに、それでもこれは「男性目線」の映画ではないかという疑問も拭えなかった。どうなんだろ。ぜひ女性の意見を聞いてみたい。

以下多少めんどくさく、ネタバレも含む話。

作中、重要なモチーフとなっているカフカの「城」。そして田村隆一の詩。「城」はいうまでもなく「実在しない理想」のメタファーであろう。消して辿り着くことのない理想。あらかじめ失われている夢。そのイメージは「愛のむきだし」で歌われた「空洞」にもつらなる。「いいよ くぐり抜けてみな 穴の中」。冨樫が「堕ちてこい」と挑発するシーンでは、あの坂本さんの、突放した声が聞こえてくるような気さえした。

誰もが抱えている「でかい空洞」。それを「冷たい熱帯魚」のでんでんは「カネ」で、「恋の罪」の冨樫や神楽坂(もちろん水野もそうだ)は「肉欲」で埋め合わせようとする。観念から実体へ。自分でも探し物が見つからないことなんて分かっている。だからこそ、実感できるものに、実態のように見えるものに、縋ってしまう。

「言葉なんて覚えるんじゃなかった」

繰り返される田村隆一の詩は、空洞に向かっていることを自覚しながら、その旅をやめることができない人たちの魂の叫びのように聞こえる。彼らが忌み嫌う観念としての言葉。なぜ、彼らはこれほどまでに「言葉(観念)」を嫌うのか。彼らが嫌う「言葉(観念)」とはなんだ。それはたぶん。。。

恋。

恋なんだよね。彼らはみんな、恋を求めて、絶望して、それでもまた恋を求めて、叩きのめされて、ついには恋を求めていること自体を否定して、空洞に引き込まれていく。その終わりのない旅を終わらせることができるのは、、、

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というわけでがっつり共感しながら観てるね。おれ(笑)。

僕が女性が観てどうなんだろ、と思ったのは、その恋を求める心理はたぶん誰もが共感するんだろうけど、その時に埋め合わせになる実体として「肉欲」を持ってくるところに、ある種の抵抗があるんじゃないかな〜ってこと。フェミニズム論者じゃないけど、そこにはいわゆる「男にとって都合のいい女性像」が見え隠れする、という人がいてもおかしくないよな、と思ったのですが、どうなんでしょ、女性のみなさま。

でも僕自身は、男だ女だってのを超えた、もっと普遍性のある心理を描いてるように感じました。相変わらずテンポよく、笑えるシーンも満載。毎回極度の緊張のあとに思わず吹き出すところをもってくるあたり、ほんとにうまいよね(今回でいえば勿論あの気まずいティーパーティのシーンです、あれは映画史に残る名シーン!!)

次回作の「ヒミズ」が予告編だけでも超絶面白そうだったので、また次回も見に行きたいと思います。

長くなってすいませんでした。