ジョーカー

鑑賞直後、なぜかティム・バートン版のジョーカーがロバート・デ・ニーロだった気がしてて、それは単純に恥ずかしすぎる勘違いなんだけど(正解はもちろんジャック・ニコルソン)、今回ホアキン・フェニックスが演じたジョーカーって、ヒース・レジャー含む歴代のジョーカー以上にトラビスに似てる気がするよね。蔑まれ、無視され、屈服させられてきたものたちの狂気。偽善者への怒り。映画を観た直後はホアキンの踊りの妖艶さにやられまくって、こんなにも美しいジョーカーに感情移入できないようなやつは全員ぶち殺せばいいんだ!!みたいな気分になったんだけど、さていま現在のこの世界でジョーカーに共振する人ってどんな人なんだろうと思うと暗澹たる気持ちにもなる。おそらくこの映画のなかでジョーカーに心酔する大衆たち(ピエロたち)の鬱屈って、トランプとかボリスとか、ああいうポピュリストを支持してる人たちの鬱屈と重なりあうんだよね。そしてたぶん日本のネトウヨたちとも。もちろんレッドネックやネトウヨの差別的言動、特に恨み辛みのはけ口がカースト上位の奴らじゃなく自分たちより下位(と彼らが勝手に思い込んでるもの)に向かう姿勢には一ミリも共感しないけど、ただなんつうか、ピエロの不満を吸収し、破滅を先導しているのがジョーカーではなく現実の政治のトップだったりする現代はゴッサムシティ以上の地獄だよなあと。。。
ただね。そんなことを考えさせることも含め、映画としては大変な傑作だと思います。「悪」であることになんの理由も一貫性もないことが最大の魅力だったジョーカーに「理由」を与えること自体に賛否はあるはずだし、僕も正直企画としてどうんなんだと思ってたんだけど、あえてそこに踏み込んだトッド・フィリップスの勇気と力量に。そして何より、とびきり美しかったホアキン・フェニックスに。最大の賛辞を。

 


『ジョーカー』心優しき男がなぜ悪のカリスマへ変貌したのか!? 衝撃の予告編解禁