ミランダ・ジュライ「いちばんここに似合う人」

久しぶりの図書館で目についたタイトル。記憶にない名前だったが、信頼する岸本佐知子さんの訳であること、ポートランドに居住しているパフォーミング・アーティストであること、インスタレーションや映画も手掛けており、長編デビュー作でカンヌ映画祭パルムドールを獲得するなど、その多才な経歴にも興味を持った。1974年生まれ。同世代ってのも手に取った大きな理由。で、借りてきたその日に一気に読み終わった。

なるほど、魅力的な短篇集だった。孤独についての本。いかにも岸本さんが好みそうな(というか今となっては読者が予め岸本さんに期待してしまっているような)「変愛」的世界観。ちょっとイタイ人たちの、ちょっとイタイ出来事を通して、誰しもが人生のなかに抱いている普遍的な「寂しさ」が描かれる。映像も手掛けるということもあるだろうか、文章として練り込むというよりは、プロットの面白さ、情景、心理描写の鮮やかさが際立つ、スケッチブックのような短篇集。

性的な表現も多く、うっかりするとあざとくなりがちな芸風でもあると思う。岩井とか。是枝みたいな。。。しかしながらこの短篇は、ぎりぎりのところで、その種のあざとさ、わざとらしさを回避している(あくまでも僕の受け取り方としてですけどね)。

そう感じる大きな理由のひとつは、決して「上手く」はないことにあるだろう。文章としての練り込みと上にも書いたが、少なくとも本作読む限り、ミランダの文体は文章としての完成度よりは瑞々しさに魅力がある。お話の運び方も、もっとスマートになりうると思う。ただ、これ以上「上手く」なってしまうと、例えば重松清などがそうだが、立派なんだろうけど僕にとってはあまり興味のわかないものになってしまうのかもしれない。若書きゆえの瑞々しさ。それは間違いなくこの短篇集の魅力のひとつになっている。

しかしそれ以上に重要なのが、これは説明が難しく、誤解されやすくもあると思うが、身体的なリアリティのようなこと。お話の内容がミランダの実体験であるとかないとか、彼女自身が同性愛者であるとかないとか、そういう単純な意味ではなく、ミランダにとって、理屈ではなく、身体で理解できることでお話が紡がれているという感じ(僕が岩井や是枝に乗り切れないのは、まさにこの身体性が欠如した印象を受けるからだ。あたまでっかちな感じ。たぶんそれは同族嫌悪なんだけど)。そのアーティストとしての誠実な姿勢に感じ入るところがあった。

アーティストとしてのミランダにとても興味をもった。岸本さんのあとがきを読むと、2008年の横浜トリエンナーレに作品を出品していたらしい。図録が手元になく、どの作品なのかすぐには分からなかったが、YouTubeに映像があった。

なるほど、こういう「寄り添い方」がミランダ・ジュライというアーティストの資質なのだろう。本人にとっては負担の大きそうな「寄り添い方」だが、彼女はその負担を恐れることなく、おそらくは彼女自身が、自らの人生のなかで切実に必要としたであろう「表現」を投げ返していく。そして受け手にもまた、自らの物語を語ることを促していく。

これもまた岸本さんのあとがきに紹介されていたのだが、ミランダがネット上で展開してるプロジェクトにも興味を持った。
http://www.learningtoloveyoumore.com/index.php

Learning to love you more(あなたをもっと愛する練習)

いまを生きる人が抱える「痛み」を、分析するのでもなく、批評するのでもなく、共感しつつ伴走する。終わることのないキャッチボールを繰り替えす。少しずれただけで僕にとってとても苦手な方向に触れかねない作風だけに、ちょっとこの先どうなるかは予想しにくいが、少なくとも本作のミランダは、現代アートがなしうるもっとも良質の仕事のひとつを成していると思う。