この世界の片隅に(追記版)

ほんとうにこの映画は大変な傑作で、素晴らしいレビューもたくさん出揃ってきて、公式ガイドブックやら絵コンテやらサウンドトラックやらも買い揃えて、毎日毎日twitterで「この世界の片隅に」を検索するのが楽しくて仕方ないという。マッドマックス以来の熱中ぶり。備忘録的に私がこの映画について思うことをメモしておきたいと思う。


●アニメーションという表現の豊かさ
もともと僕はこうの史代さんの漫画が大好きで、なかでも「この世界の片隅に」はとても思い入れのある作品。映画化には多少の不安があった。しかし予告編を見て、これまで片渕さんという作家を知らずにきたことを恥じることになる。あの独特の絵柄、柔らかく、愛らしいキャラクターたちが滑らかに動いている。それだけでもう感動していた。こうのさんの描く線は妙に色っぽい。ひらがなのような絵だといつも思う。大きな手足が作り出す微妙な動き、ニュアンス。その魅力をそのままアニメーションに置き換えられている。何気ない日常が動きだす。それこそがアニメーションの快楽だという細田守さんの指摘はむしろ、細田さんの映画以上にこの映画で達成されているのではないか。冒頭、すずが船に乗り込むシーンから、僕はもうこの映画に夢中になっていた。


●圧倒的な情報量
ゆったりしているように見えて猛烈なスピード感があることもこの映画の特徴。町山さんたちがマッドマックスに喩えるのもよくわかる。そしてマッドマックスと共通しているのが、特に説明もされない情報が山のように隠されていること。これはそもそも原作がそうで、こうのさんの漫画はこの作品に限らずいつもそうで、ほんの小さな一コマ一コマに込められた歴史的な事実や背景、隠された意味、比喩と隠喩の数々、伏線とその回収を読み解くことに楽しみがある作風なのだが、この映画ではその魅力もさらに強化されている。片渕監督の圧倒的な取材量に感嘆する。すずさんがこの世界に実在することを実感するために。想像を排し、ファクトを積み上げる。まるでドキュメンタリーのように。その手法が生み出したリアリティ。僕は戦争映画は大好物で、たぶん人並み以上にはたくさんの戦争映画を見ていると思うが、この映画の爆撃シーンは、これまでに見てきた幾多の戦争映画のなかでも一番怖かった。


●すずさん
監督といえば、この作品を語るとき、片渕さんが必ず「すずさん」と「さん」づけで呼ぶのがとても好き。ファンも影響を受けて概ねみな「すずさん」と呼んでいるように思うが(僕ももちろんそう)、それはもちろん、この映画に関わった人、見た人が「すずさんは実在する」ことを実感しているからに他ならない。監督が最初は「すずさんはいまも広島のどこかで生きているかもしれません」とコメントしていたのに、最近では「すずさんはいまも広島で生きていて、広島カープを応援してる」と話しているようで、そのエピソードも泣けてくる。ああ、メガホンを叩くすずさんに会ってみたいな〜。


●みぎてのうた
監督の熱量がスタッフに伝わり、観る人に伝播していく。作品をつくる立場にいるひとりとして、こんな幸せな光景を目の当たりにしていられることにとても感謝している。片渕さんありがとう。制作スタッフのみなさんありがとう。コトリンゴさん、のんさん、素晴らしい仕事でした。プロデューサーの真木さんははじめて完成版をみたとき、感動で動けなかったと聞く。とてもよくわかる。そしてこの映画を広めようとして素晴らしいレビューを重ねているファンの皆さんにも拍手を。町山さんの圧倒的な読み込み、宇多丸さんの5000億点にも唸らされたが、私が個人的に一番好きなレビューはこれ。

http://shiba710.hateblo.jp/entry/2016/12/01/144225

ああ、ほんとうに。この映画の「右手」は物語ることの力の象徴なのだ。この映画は、戦争によって、あるいは大人になる過程で、さまざまなものを奪われてきたすずさんが、自らの「右手」を取り戻すまでの物語なのだ。


●生きるっていうだけで涙があふれてくる
まったくなんという傑作なのだろう。上はおそらくのんさんの言葉。素晴らしいコピーだと思う。そしてこの映画におけるのんさんは、まさにまぎれもない天才だ!!。毎日を丁寧に過ごすことの大切さ。そして丁寧に作品をつくることの大切さ。この映画を観るたび、背筋がピンと伸びる。