不思議惑星キン・ザ・ザ

いわずとしれたSFカルト映画の金字塔。1986年にソビエトで制作された映画で、監督はゲオルギー・ダネルヤ。

カルト映画、しかもSFとして紹介してしまうとそれだけで間口を狭めてしまうのだと思うが、ひとくちにSFといっても世の中には色々なSFがあって、例えばキューブリックの「2001年宇宙の旅」が「Science(科学)」としてのもっともらしさにこだわりがあるぶん観客にもある程度の科学的素養(あるいは科学的思考)を要求するのに対し、「不思議惑星キン・ザ・ザ」は、まったく科学的思考を要求してこない。冒頭のテレポートからして無茶苦茶だし、こんな形状の飛行物体はありえませんという釣鐘型の飛行船を見ても科学的もっともらしさには最初から興味がないのは明白。ではこの映画が描こうとしているのは何かといえば(これもまたSFの伝統的なテーマのひとつである)コミュニケーションの問題なのだと思う。

主人公となる地球人二人がテレポートした惑星プリュクには、通常でいう言葉が二つしかない。「キュー」は公言してよい罵倒語で、「クー」はそれ以外の全て。しかしその惑星の住民たちは相手の思考を読むことができ、すぐにロシア語も理解する。
地球の価値観で測ると先進的とも後進的ともとれるプリュクの社会構造。不可思議な儀礼や差別。そんな不思議惑星から地球に帰ることを目指す二人の冒険譚は、やがて極めてヒューマニティに溢れる友情の物語へと昇華されていく。

映画全体のトーンは明らかにコメディ。音楽も美術も優れてアート的ではあるが、決して難解なわけではない。爆笑しながら気楽に見れる。しかしその爆笑の裏には痛烈な社会風刺が潜んでいる。コミュニケーションとは何か、人種差別とは何か、私たちが自明のものと信じている価値観は本当に自明のものなのか。何が身勝手な行動で、何が本当の意味で利他的な行動なのか。

優れたSFは常に現実社会の鏡になっている。80年代といえばハリウッドでは特撮やCGを駆使した超ビッグバジェットのSF映画がたくさんつくられた時代で、僕はもちろんそういう映画を観て育ってきたし、そういう映画も大好きなんだけど、その一方、同じ時代にソビエトではこんなにもキュートな映画がつくられていたという事実に改めて驚愕する。前にビデオでは見たことがある映画だったが、スクリーンで観るのは初めてで、この映画をスクリーンで見れたのは本当に幸せだった。

とにかく、僕の日記なんぞをわざわざ読みにきてくれるような酔狂な人は、最初にでてくる「クー」の挨拶だけで心を鷲づかみにされること間違いなしなのである。僕が日記にするとどうしても難解そうになっちゃってると思うけど、実際には気楽に観るれるコメディ映画です。未見の方はぜひご覧になってください。そして観た人同士で「クー」って挨拶しよう!!「クー」とか「キュー」とか言ってればたぶん僕らは生きていける!!