劇場版神聖かまってちゃん ロックンロールは鳴り止まないっ

神聖かまってちゃん。はじめて聞いたのは車の中で何気なくつけっ放してたラジオでのことだったと思う。「ロックンロールは鳴り止まないっ」。それ以降も好きとか嫌いとかいえるほど聞いてきた訳じゃないけど、なんだこれ、、、という感触が久しぶりに強く残ったことは事実。

そんな「神聖かまってちゃん」を題材に「サイタマノラッパー」の入江監督が映画を撮る。入江さんの映画って、観た人がやたらと饒舌になることが多い気がする。「サイタマノラッパー」を初めて劇場でみたときの僕もそうだった。誰かにあの映画すげえんだよとか語りまくるのとはちょっと違う。twitterとかmixiとかで決して普段は口にしないような青臭いセリフをぶちまけてしまう感じ(でもって後で自分で恥ずかしくなったりww)。それはたぶん、入江さんが、誰にでもあったはずの初期衝動を呼び覚ます達人だからなんだと思う。

初期衝動。「神聖かまってちゃん」を語るときにも誰もが使いたくなる言葉。初期衝動だけで突っ走るかまってちゃんを、初期衝動を撮らせたら天才的ともいえる入江さんが撮る。これで面白くならない方が不思議というもの。

で、期待に違わず、この映画は大成功していると思う。ドキュメンタリーではなくドラマを絡めたのは入江さんの資質からすれば当然の選択であろうし、大正解でもあるだろう。「かまってちゃん」が必要な人たち。それを陳腐なステレオタイプとしてではなく描く、ドラマの中で描くことができるのは、今、入江さんしかいないのではないか。

これまでの作品でも感じていたけど、入江さんの人物描写はほんとうに丁寧だ。だからこそ映画の中の「ここぞ」という台詞や所作が深く輝く。将棋に生きるパンク少女、二階堂ふみの渾身の蹴りや自転車での全力疾走も素晴らしかったけど、やっぱり僕にとって一番痛かったのは森下くるみだ。彼女の「むかつく」という一言。決して言ってはいけないことを口走ってしまう自分への苛立ち。iPhoneでかまってちゃんのライブを食い入るように見つめた後、ストリップの舞台に向かう彼女の決意のこもった目線にはもう号泣ですよ。号泣。号泣メーーーーン(また入江さんに泣かされちまったよww)

気弱なマネージャーさんも素晴らしかったな〜。あの人も本人役、本物のかまってちゃんのマネージャーなんだよね。堀部圭亮が演じる嫌みな上司(そういえば映画の中で同情的に扱われる人の描き方がものすごく丁寧なことに対して、「適役」となるキャラクターの人の造形は極端にステレオタイプなのも入江さんの特徴かしらww)の要求に「やっぱクソだよな〜」といいつつ肩を落とすシーンは素晴らしい。思春期の少女、抑圧された子供、子育ての重圧に苦しむ母親、サラリーマン社会の中でもがくマネージャー、それぞれの耳元でロックンロールが鳴り響く。

そして何より、この映画が良いな〜と思うのは、極端にステレオタイプな嫌な奴さえもが、決して不幸になることなく終わるところだと思う。どんなことがあっても続いていく過酷な日常に対する愛情、そんな日常を生き抜いていくすべての人たちへの愛情。入江さん!!あんたすげーよ!!

あ、いかんいかん。またむやみに熱くなってしまった。でもね、そういう映画なんだから仕方ないじゃない。

311以降の世界を生き抜いていかなきゃいけない僕らみんなにロックンロールが鳴り響きますように。

遠くで、近くで、あなたの、すぐそばで。