ブラックスワン

どすん、という言葉が一番しっくりくる。超重量級の読後感(観賞後感?)。いまのところ今年のナンバーワンです。

事前から伝わっていたとおり、映画全体が「レスラー」の姉妹編のようなつくり。80年代にカリスマになったミッキー・ロークとランディ“ザ・ラム”が重なり合うのと同じく、子役で鮮烈なデビューを果たしたナタリー・ポートマンがニナと重なり合う。そしてミッキー・ロークが鬼気迫る演技で見事にその輝きを取り戻したのと同じく、ナタリー・ポートマンもまた、凄まじい気迫で「役」に没入し、その才能を煌めかせている。

もうこのナタリー・ポートマンの演技を大画面で観られるだけで1800円の観劇料なんて安いものだ。全体としてサイコスリラーの体になっていることも大きな画、大きな音で観ることの喜びを増す要因だろうが、徐々に役に取り憑かれ、追いつめられ、狂っていくナタリーの表情、四肢全身から溢れる切迫感は、ぜひとも映画館でこそ体感すべき。「レスラー」のクライマックスも痛ましかったが、この映画のクライマックスもまた凄まじい。白鳥の湖の、誰もが知ってるあの主旋律が大音響で響きだす。ニナ(というよりもナタリー自らか)もまた、かつてない高みに上り詰めていく。観ている私たちの鳥肌が立つ。そして来るべき瞬間が訪れたその刹那、観客とヒロインはまさにエクスタシーとしかいいようのない、強烈な感情の爆発を共有する。いやいや、あれは単なる性的な快楽としてのエクスタシーなんてもんじゃない。嫉妬や恐怖、興奮と歓喜、あらゆる感情がないまぜになり、一気に炸裂する瞬間。これこそが映画だ!!映画にしかない、映画だからこその興奮に飲み込まれる。

見終わった直後に息が苦しくなった。こんなに映画に巻き込まれたのは久しぶりかもしれない。それぐらいナタリーの演技も、映画としての演出も素晴らしかった。

よく指摘されている今敏の「パーフェクトブルー」ほか、様々な映画からの引用についてはもっと詳しい人におまかせしたいが、僕自身はやはり「レスラー」との共通点に思いを馳せる。ダーレン・アロノフスキーは細かい仕草や動作に「痛み」を染み込ませる達人だと思う。「レスラー」でもラムがステロイド注射をするシーンをはじめ、「痛い」名シーンがたくさんあったが、今回もまた「痛い」描写にはことかかない。爪がはげたり。足首ぐりぐりしたり。ああいう想像しやすい「痛さ」をドアップで見せるのは、観客を映画のなかに引きずり込む上で極めて有効に機能している。

家族や友人との関係性の描き方も本当に巧みだと思う。特に言葉にされない抑圧を積み上げながら、秀逸なタイミングに「決定的な一言」を配置するあたり、ドラマの語り部としてのアロノフスキーの力量は相当なものだ(このあたりにも昔からの映画の話法に対する信頼というかリスペクトを感じるな〜)。

バレエシーンのちょっとやりすぎとも思える演出(羽がはえるあたりね)には賛否があるだろう。如何にもハリウッド的な「派手さ」は僕にとっても好みとは言いがたいところがある。がしかし、そこもまた、レスラーとの共通点。アロノフスキーは、レスリングそのもの、あるいはバレエそのものの魅力で勝負することを巧みに避けているのではないか。というよりも、レスリングやバレエの魅力を「映画」として表現するという風に割り切っているのだと思う。そしてその戦略は、この二本の映画においては極めて上手く機能していると思う。

劇中、サイコなシーンは本当に怖くて、独りで映画館で何度も目をつぶってしまった(怖い映画が大好きな人の大多数がそうであるように、僕もまたとびきりの小心者だ)。でも最後には、あまりにも切なく、美しいラストに、完全に感情を持っていかれてしまった。

ブラックスワン。間違いなく2011年を代表する傑作だと思う。ぜひ劇場で。