ハーモニー 伊藤計劃

久しぶりに何かを書き留めておきたいという読書。

世界が大混乱に陥った《大災禍》を経て実現された、思いやりに溢れる、福利厚生社会。WatchMeと呼ばれるソフトウェアが体内にインストールされ、常にメディケアとつながることで、誰もが病気で死ぬことがなくなった世界。緩やかな相互監視、思いやりという名の牢獄。公共性と自由意志。大昔からSFにはよくあるテーマ。しかし伊藤は、その想像力を更に先へと進める。

理性、あるいは科学によって最後に統治されるべきものは何か。その統治が実現されることは何を意味するのか。これ以上はネタバレになるので書けないのだが、あくまでもロジカルに、しかしミステリとしても大きな盛り上がりを見せる後半の疾走感は特筆ものだ。そして、その重厚な思索から辿り着いた(とりあえず今回はここまででしたと本人が語る)結論の異様なまでの残酷さ(あるいは多幸感??)もまた。

解説にあった伊藤氏のコメントが興味深い。

僕はまず、理屈が先にある感じです。理屈に沿ってキャラクターを作り、そのキャラクターが喋るロジックを魅力的に見せるにはどうしたらいいのかってことで話を考えていきます。(中略)切実なロジックを、その切実さを残したままキャラクーに喋らせると、なんとかエモーショナルになってもらえるんじゃないだろうか、そういう期待のもとに書いている部分はあります。

なるほど、伊藤計劃の最大の特色は、まず理屈が先にありながらも、それが時に爆発的なエモーションを生み出してしまうことにあるのだろう。

小説としてはもっと鍛え上げることができた作品だと思う。無駄な記述、重複を削って。ひとつひとつの言葉を精査して。しかしこの小説には、そうした洗練を超えた何かがある。表現としての荒々しさを残しているがゆえの、爆発がある。

あのクライマックス、主人公がとる決断の切実さには震えがきた。それは(それなりにたくさんのSFを読んできたつもりである自分にとっても)これまでに体験したことがない感情の爆発だったといっていい。

たったの2作、34歳というあまりにも早すぎる死で止まってしまった「project itoh」の思索の旅。その続きが読めないことを惜しむ声には当然共感するが、もうこれで十分じゃないかともまた思う。おそらくこの作品は、ずっと残る。長く長く、読み継がれていく。日本中で。世界中で。

そして誰もが探し続けるだろう。彼が今はまだ見つけられなかったと語る「次の言葉」を。プロジェクトは続いている。