セデック・バレ

いろいろな意味で破格の映画。前後半あわせて4時間半という長さ、制作に至るまでの希有な物語、それぞれ日本、韓国のチームが担当したという素晴らしい美術、アクション、そしてそれをも凌駕して素晴らしい主役の演技と存在感、などはあちらこちらで書かれていると思うので割愛。素晴らしい映画なのは間違いないし、こんなに長い映画は映画館でしか観れないと思うので(DVDを四時間以上観るの無理でしょ!)ぜひ映画館に行って欲しいのですが。。。

私はこの映画がこの時代に構想されたことの意味みたいなことをどうしても考えてしまう。実はこの映画を見た頃に読んでいた本がノーベル賞作家であるアイザック・バシェヴィス・シンガーの「不浄の血」だった。この本はユダヤ人であるシンガーが「滅びゆく言語」であるイディッシュ語で書いた中短篇集だ。伝統的なユダヤの価値観や文化を、時に批判的に、ブラックに描きつつ、その底流には、ひとつの文化が失われようしていることに対する避けがたい寂寥感が漂っている。世界を席巻するグローバリズム。乱暴な「資本」の暴走は無条件に批判するとしても、実はその根底には、ある種の普遍的価値として国際社会から信頼されている近代的価値(人命の尊重とか基本的人権とか男女平等とか)がある。そしてその裏側には、失われてゆく少数者の言語があり、文化がある。

この映画が構想されたのは2003年頃らしい。2003年といえばアメリカによるイラク侵攻がはじまった年だ。異なる文明と価値観が最悪の形で衝突した911とその後の戦争。圧倒的に劣勢にあってなお抵抗するものたちのテロリズム。この映画で描かれる先住民族セデック族たちによる日本への武装蜂起は、当然ながらタリバンアルカイダテロリズムとも重なって見える。あるいはイスラム国家に抑圧されるパレスチナクルドの人々の抵抗とも。

そして、イスラム文化を共有する全ての人が原理主義者のテロリズムを肯定しているわけではないように、セデック族の武装蜂起もまた、民族全体の意志、絶対的な正義とは言えないことが丁寧に描かれる。もちろん自分たちの価値観を押し付ける近代=日本の無神経さも冷静に描かれているのだが、それよりも強く印象に残るのは「なぜこんなことを」と泣き叫ぶセデック族の女性たちの言葉ではなかろうか。そしてまた、泣き叫ぶ女性たちを振り切ってまで、抵抗するしかなかった、立ち上がらざるを得なかった男たちのこともまた、十分な説得力をもって語られる。この目線の多様さ、複雑なことを複雑なままに語る勇気こそが、この映画の最大の白眉だ。

私自身は、個人を縛り付ける伝統や文化は好きになれない。これまでもそうした「縛り」からなるべく距離を置いて生きてきたし、その「縛り」が個人に死を強いるものである以上、無条件に賛美する気持ちにはなれない。それでもなお、必ず負ける戦いに身を投じ、戦い抜き、いよいよ最後と覚悟を決めたものたちが、大地を踏みしめ、歌い踊る姿には、ある種の神々しさを感じざるを得なかった。美しかった。

文明の衝突。普遍的価値と多様性の確執。さまざまなことを考えさせられる映画です。同時に、複雑さを根底にしながら、極めてエンタテイメント性の高い娯楽作品ともなっている映画です。今年たった一本だけ映画館を映画を見るという人にも、私はおそらくこの映画を薦めるでしょう。

残念なVFXとか、後半の戦闘長過ぎとか、最後の川原の台詞が気持ち悪いとか、欠点もなくはないですが、、、ぜひ、映画館で!!