選挙2

想田監督の観察映画。想田さんはTwitterでもフォローしているし、観察映画の定義の仕方や、憲法、政治、原発などを巡る発言の数々などからも勝手な共感と親近感を持っているのだが、実は映画そのものは見逃すことが多く、私が観たのは「精神」と「Peace」の二本だけ。そう、実はデビュー作である「選挙」はいつか観るだろうと思いつつ、まだ観れていない。結果として先に「選挙2」を観ることになったが、それでも存分に面白かった。

山さんのキャラクターがとてもいい。前作では小泉チルドレンの「末端」としてドブ板選挙を体験したという山さん。今回は独立系完全無所属として川崎市議会選挙を戦う。元議員らしく「事情」をよくよく理解した「票読み」を見せる一方で、あまりにも能天気というか、のんびりした選挙戦を展開する山さん。受かるつもりでやってるよーと本人はいうが、本当にこれで勝算ありと思っていたのだろうか? まあおそらくは(想田さんの観察から読みとれる勝手な推測としていえば)勝つ負けるではなく、原発事故の直後というあの状況下、誰もそれを口にしない選挙を黙って見過ごすことができなかっただけなのだろう。山さんは行動の人なのだ(行動の内容やその背景にある思想が正しいかどうかはおいといて)。

宇多丸さんのウィークエンドシャッフルで、これまでの観察映画と違い想田さん自身がどんどん映画に入ってくることの背景や意味は存分に語られていたし、そのことで発生するコンフリクトがこれまでにないエンターテイメント性を生んでいることも指摘されていた。この映画の主人公は実は想田さんなんですよ、という山さんの指摘も的を得ていると思う。私は想田さんと政治信条的に近い距離にいるので、想田さんの観察と同期しやすいというか、あのオレンジ色のババア(本人は賢いつもりでいるんだろうけど単に不遜なだけのバカ)との対決では想田さんと一緒になってムカムカするし、友人としての山さんには突っ込みながらも共感を覚えるわけだが、そうでない人たちにとっては「不平等」なカメラに見えるであろうことも容易に想像できるし、「不偏不党」がドキュメンタリーや報道の要件であるならば、この映画がそれを満たしているとはいえないだろう。しかし、少なくともドキュメンタリーにおいて、その必須の要件は「不偏不党」や「演出性の排除」ではない(と私は思う)。ドキュメンタリーの要件は嘘をつかないことだ。

例えば誰にとっても不愉快な距離でカメラを回し続け、その反応として怒りを引き出すこと。それが「演出」にあたるかどうかでいえば、演出だと言うことも可能だと思う。しかしそこで生みだされた反応が、予め予定されていたり、誰かに指導された演技ではなく、そのひと本人の素の反応であるならば、そこに嘘はない。想田さんいじわるだなーとも、露骨に不愉快そうな顔を撮られた候補者も気の毒だなーとも思うが、それ以上に、カメラはあの候補者の「本音」や「本性」をむき出しにしてしまっている。

そうした意味で、この「選挙2」に限らず、想田さんの観察映画はいつも、対象者との濃密なコミュニケーションの記録とも言えるだろう。濃密なコミュニケーションに付き合うのは骨が折れる。隠されている本音や本性に触れることは、ある意味で人をとても疲れさせる。特にこの映画では、あの春の、あの年の桜の頃の空気が濃密に漂っており、あれほどの事故を受けてなお淡々と過ぎて行く「わたしたちの日常」の強固さに対する、あの大変に微妙な気持ちを思い出させるという意味で、とても疲れる映画だった。

しかし、だからこそ、ラストシーンの山さんの静かな語りには感動した。極めて真っ当な主張を、あくまでも静かに語る山さん。しかし通り過ぎる人たちは誰一人として耳を傾けない。絶望的な無関心。しかし彼の傍らにはカンフーをしているゆうくんがいる。山さんの闘いは、とても狭い範囲かもしれないが、一番大切なところに波及している。

選挙2のラストシーンは、絶望と希望が同居する、名シーンだと思う。