風立ちぬ

鑑賞直後に“眼鏡をかけたど変態が「美しい」と呟きながら「夢に形を与え」る萌え映画”とTwitterに書きまして、我ながら簡潔明快な要約ではないかと思うのですが(笑)、それだけで終わるものアレなのでこちらで多少追記をば。

異論反論あると思いますが、私はここ数年のジブリ作品の中では圧倒的に好き。ひょっとしたらこれまでのジブリ作品の中でも一番好きかもってぐらい好き。子どもたちにも分かりやすくとか、道徳的な正しさとか、そういうサービス精神や社会通念(自己規制)をかなぐり捨て、ただひたすらに自らが愛してやまないもの、自らの人生を詰め込んだ傑作だと思う。

表面的にみても駿さんが自分が大好きなものを詰め込んだ作品であることは明らか。例えば。

○生意気だけど実は自分のことが大好きな妹
○上品で優しい母親
○深窓の令嬢(ロリ+病弱の最強コンボ)
○タバコ
○かっちょいい文具、眼鏡、その他「道具」全般
仏頂面にみえて実は庇護者たる上司

他にも、例えば勉強会のシーンは駿さん自身の憧れなんだろうと思います。おそらくジブリスタッフの皆さまも「この雰囲気を僕らにも求めてるんだろうな〜」と苦笑いしながら描いたのではないかと推察するのですが、そのシーンでも、あくまでも中心は二郎なのが駿さんらしい。アイデアを出し合うというよりは、二郎のアイデアに皆が熱狂する風景。輪の中心はあくまでも二郎(=駿)。ほんとにど変態だよな、この人は^^;)、

そして、駿さんが今回書いた自分が大好きなもの、その最たるものが「飛行機=兵器」だろう。

これは矛盾だ。

何度も映画の中で繰り返される言葉。生粋の平和主義者でありながら、人を殺す兵器に、その精巧さや機能美に惹かれ続けている駿。戦争を徹底的に嫌悪しながら、その道具である戦闘機には圧倒的な「美」を見いだしてしまう駿。この映画ではその矛盾を入口に、モノをつくること、夢を追うこと、その生き方そのものが孕まざるをえない、本質的な矛盾と罪へと踏み込んでいく。

他のレビューをみると主人公、二郎の声に庵野さんを起用したことを否定的に書くものが多いようだ。私もジブリの声の起用にはいつも疑問を感じているのだが、この映画に関する限り、庵野さんの起用は大正解だと思う。演技ができていないってのはともかく、人の心が感じられないと書く人たちは、いったいこの映画の何を観ているのだろう?? それこそがこの人物の肝ではないのか??

堀越二郎は「美しい」ものをつくることにしか興味がない人でなしだ。ど変態だ(つまりは、だれもが言うとり駿さん自身の投影だ)。彼は、間違ってもファンタジー映画の主人公らしい正義の人ではない。むしろ自分の夢以外に関心のない、ある意味で冷徹な人間として描かれている。庵野さんが狙ってやってるわけじゃないだろうけど、そんな二郎を表現する上で、あの棒読みには充分すぎる必然性がある。そしてもちろん、庵野さん自身もまた、美しいものにしか興味がないど変態であることにも大きな意味がある。

そしてこの映画がとびきり美しいのは、そんなど変態たちの業の深さを、罪深い生き方を容赦なく断罪しつつ、それでもなおつくらざるをえない人たちを、夢を追うその生き方を、最後の最後に肯定してみせるところにある。「創造的な10年」の全てをかけて完成させた「零戦」はたくさんの人を殺した。一機も帰ってこなかった。結果として国を滅ぼした。愛した人の死期さえも早めてしまったかもしれない。そんな「ぼろぼろ」な結末を迎えた二郎に、菜穂子は「生きて」という。その言葉の残酷さ、そして美しさたるや!! そう、私たちは「生きねば」ならない。矛盾や罪を抱えつつ、それでもなお「生きねば」ならない。それは自らもまた夢を追い、そのことで多くのことを失ってもきたであろう駿さん自身の、その積み重ねた人生の腹の底から絞り出した、渾身のメッセージだ。

ほかにも語りたいことはいくらでもある。菜穂子の生き方に関する否定と肯定とか、話題となっているタバコのこととか、執拗に描かれるものとあえて省略されたものとか、それにしても僕はなぜこうも飛行機が飛ぶシーンに弱いのだろうとか。飛行機を飛ばしたい少年の映画といえば、僕にとってのベストはアルトマンの「バード☆シット」であり続けているのだが、今回の「風立ちぬ」にはそういえば、ニューシネマの匂いがあるのかもしれない。大胆な省略と皮肉から立ち上がる詩情。決して間口の広い映画ではないだろうが、正直僕は、冒頭から最後まで、飛行機が飛ぶたびに泣けて泣けて仕方なかった。

美しいものをつくろう。

改めてそう思った。まるで「零戦」のように、ソリッドに美しく仕上がったこの映画を観て、改めてそう思った。