GODZILLA

最っ高ですね!!すっげえ好きですね!!

えっと、ネタバレできない映画でどう感想を書いたものやら少し困るところもあるのですが、なにしろGODZILLAは思っていた以上に「ゴジラ」だったし、パニック映画の定番通り、溜めて溜めてようやく三度目でどばーーーーっと出て来る感じとか、超アガる破壊シーンとか、クライマックスの戦闘シーンもばっちりだったし、その直後の咆哮一発でもう「イクーーーーーーッ」ってなったし、俺はこれで充分。何の不満もないっす。ごちそうさま。レジェンダリー・ピクチャーズ。ありがとう。ギャレス・エドワーズ

色々突っ込みたいところがあるのはそりゃそうで、あえていえば怪獣映画なんて昔からそんなもんで、そういうところに突っ込みを入れるのも楽しみ方のひとつなんだから、それはそれでいいんだと思うけど、不謹慎だ!とか、批評性がー!とか、その手の感想を見かけると少し疑問を持つ。

おそらく今回もっとも(日本人から)不謹慎のそしりを受けるのはホノルルのあのシーンなんだろうけど、あれはゴジラは決して人間の味方なわけではなく、むしろ人間にとってコントロール不可能な存在、怒れる自然そのものであることを示す上で絶対に必要なシーンだったと思うし、批評性がどうこう人に関しては、きっと少年時代の胸躍る体験としてではなく、後付けで、本を読んで、理屈からゴジラを好きになった人なんだろうなと思ってしまうのだ。

もちろん今回のGODZILLAをあの54年版ゴジラと比較して批判するのはありだと思うし、54年版が内包している批評性を超えてないという意見は正しいと思う。ただ僕にとってそうした批評性がどうこうはあくまでも副次的なものであって、僕がゴジラに代表される怪獣映画にまず求めているのは、破壊のカタルシスだ。この世界が巨大な力によって破壊されるかもしれないという恐怖。そしてその恐怖と裏返しのカタルシス。そのカタルシスは言うまでもなく「不謹慎」なもので、ゴジラに限らず怪獣映画ってのは昔から「不謹慎」なものなのだ。

今回のGODZILLAの最大の成功要因は、その「不謹慎」さを自己検閲せず、ひたすらに破壊のカタルシスを追いかけきったところにあると思う。ここから先はネタバレなしで書くのが困難なのだが、あえてひとつだけ言えば、今回ゴジラがやっつけるアイツなんて実は何一つ悪いことなんかしてないわけで、むしろ生物にとってはごく当たり前の、それこそ健気ともいえる思いを文字通り焼き尽くされてしまうわけで、物語としては理不尽極まりない。しかしそんな理不尽さを含んでいるからこそ、不謹慎な破壊にカタルシスが生まれるわけで、僕はそういう仕掛けも含めて、今回のGODZILLAに「ああ、怪獣映画だ〜」との感慨を覚えてしまうのだ。

怪獣映画の「おいしい」ところをうまく継ぎ接ぎしているという意味では、サンプリング時代の怪獣映画だなあという印象も持った。そもそも音楽があの伊福部さんのテーマをうまく取り込みながら再編したものになっているのだが、映画全編にわたって古き良き怪獣映画へのオマージュが埋め込まれており、先人たちへの強いリスペクトとともに、俺たちが次の怪獣映画を語り継ぐんだという意志を感じることができた。だからこそ僕は、あの咆哮で泣いてしまったんだと思う。

初日に観ることを優先してまずはバルト9の2D字幕版を観たのだが、これこそIMAXで観たい映画かも。でっかい画面で吠えるGODZILLAに、もう一度会いたい。