タノヒトシーケンス 透明な動物たちと夜通し歩き回る

新宿、花園神社の裏あたり。ひっそり佇む画廊の地下、小さなスペースで展開される、小さな小さな演劇。これがとても面白かったのだ。

そもそも「タノヒトシーケンス」は「ルールに則ってエチュードをするだけで自動的に物語になるようなシステム」を志向し、一種の実験として始まったとのこと(【インタビュー】田丁町の作り方より)。
そのシステムの基礎=OSとなっているのが、不可思議なまち、田丁町(たのひとちょう)の設定だ。まずはこの田丁町の設定が絶妙だ。まるで小学生の妄想のような、現実と非現実が不可思議に連続する「地図」。しかしその「地図」が、役者たちの想像力を刺激し、ときに設計者の意図を超えながら、さまざまな物語(アプリケーション)を生み出していく。テーブルトークRPGを参考にしたというエチュードのルールも興味深いが、そこから抽出されたであろう「物語」には、ちょっと他にはない独特のオリジナリティがあった。

自動生成的なシステムを志向するとき、どこまでを規定し、どこまでを偶然に委ねるか。そのさじ加減はとても難しい。ことディテールにこだわるのが大好きな人種にとって(少なくとも僕はそうだし、このシーケンスの作者である仲井さんもきっとそうではないか)、どこまでを余白として残しておくのかは常に悩みの種となりうる。しかしタノヒトシーケンスは、物語の筋を規定する前に、物語の背景となる地理や登場人物のキャラクターや背景の方を突き詰めていくことで、そのジレンマから見事に自由になっている。映像の仕事をするうちに「人と何かをつくる」ことへの欲求が高まったとは先のインタビューにある発言だが、なるほど、この方法論は「人と何かをつくる」ことの楽しさを真正面から追求したものといえるのではないか(そしてなんとも「今」っぽい方法論だと思う)。

もちろん最終的なパッケージとしての「演劇」には、「脚本」というソフトウェアを仕上げた仲井さんのパーソナリティやセンスが色濃く反映されていることと思う。さまざまな偶発性を取り入れながらも、決してぶれることのない根底のイメージが仲井さんのなかにあったことも確かだろう。しかしそれ以上に、まるで遊ぶように、そう、広場に集まった子供たちがその場にあるあれやこれやで遊びを発明しているかのように、言葉や情景が紡がれていくさまがとても印象的だった。

生成された物語への強い自信が感じられるミニマルでスタイリッシュな演出もとても好き。役者の演技もとても良かったと思う。時々こんなものに出会うからやっぱり演劇は面白い。

そして改めて思うのだ。しつこいぐらいディテールを考えた表現はやっぱり面白いのだと。