野火

観なければと思いながらなかなか観れなかった「野火」をようやく鑑賞。噂に違わぬ、強烈な映画だった。
「戦争」あるいは「戦場」というものを体感させる映画として右に出るもののない傑作だと思う。この映画は、およそ戦場にいる兵士として、これ以上ないと思われる悲惨な状況から始まる。これ以上ない悲惨。ところが恐ろしいことに、兵士はさらに深く深い地獄へと追い込まれていく。人間性の限界に向けて、ひたすらに潜行していく映画。
この映画は戦争映画でありながら、ほとんど戦闘シーンが描かれない。唯一、道路をわたろうとするときにアメリカ軍による機銃掃射が行われるシーンがあるものの、それさえもがいわゆる「戦闘」ではなく、アメリカ軍の銃弾はまるで天災であるかのように描かれる。降り注ぐ弾丸に引き裂かれる肉体。それをひたすらリアルに描くのもの塚本流だろうが、それ以上に塚本さんらしいのが、ぎりぎりの状況で「人間」であることにしがみつこうする主人公の葛藤、苦悶、その痛みに容赦なく観客を引きづりこんでいくことであろう。デジタルカメラの淡白な、だからこそ冷たくリアルな映像。小さな音。大きな音。双方を織り込んだ巧みな音響。それらが渾然一体となって、観客を「戦場」へと引きづりこんでいく。美しいフィリピンの自然までもが逃れがたい地獄にみえてくる。わずか87分、しかしあまりにも密度の高い87分。あの強烈な「オチ」を経て、映画が終わるときにはかつて経験のない疲労感を体験した。
映画としてはあまりにも一本調子であるとは思う。ひたすらにシリアスな作風は好みかといわれると難しいところもある(個人的には思わず笑ってしまうようなシーンがあって、それを笑ってしまった自分に愕然とするような映画が好き)。なので僕にとっては、例えばfilmarksで文句なく5点をつけるような映画ではない。しかしいまこの時代に、絶対に観ておかなければならない映画であることもまた確かだ。
監督に加え、製作、脚本、撮影、そして主演までを自らこなした塚本監督の本気に、ぜひとも触れてほしい。そして、上にも少し書いたとおり、主人公と一緒に「戦場」に連れ去られる感覚、その没入感こそが大切な映画なので、是非とも劇場で観ることをお勧めしたい。
鑑賞後、食欲がなくなるという話をよく聞く。確かに僕も、普段はスプラッッタのあとでも平気でもつ焼きとか食べられる僕でさえ、肉を食べる気にはならなかった。でもきっと、それはこの映画の正しい見方ではないのだと思う。いただきます。日々の食事に感謝して、いつもより丁寧に食べること。それこそが、この映画が望んでいることではないだろうか。