ルーム

実家がある熊本で大きな地震があった。同じ頃、ストレートネックに由来する首痛、肩こりでろくに仕事もできない状態になった。まさにふんだりけったりな状況で、とても映画館に通う気分でも体調でもなかったのだが、実家のライフラインも復旧し、自分の首肩も少しだけましになってきた、ということで久しぶりの映画。みたい映画たまりすぎ、、、の状況のなか、まずは恐ろしく評判の良い「ルーム」へ。

評判どおりの素晴らしい映画だった。母親、いや父親だって、子どもを育てた経験がある人にはぐっさり刺さる映画。たぶんだけど子育ての経験がなくなって、自分の子ども時代を思い出して胸が痛くなるのではないだろうか。

距離の近さゆえに時として必要以上に残酷になりうる親子という関係性。「監禁された納屋」という特殊状況がさらにその残酷さを強化しているのは言うまでもないが、たとえそうでなくても、親子とはそういうものだ。感情と感情がぶつりかりあう瞬間をぐいっと寄ったカメラが容赦なく捉えていく。無垢さゆえの言葉に深く傷つけられる母。言葉にしきれない傷を耐えし忍ぶ子。

その耐え難い濃密さからの脱出劇。それはもちろん、この映画のクライマックスのひとつで、空が開けた瞬間からもう涙が止まらなくなるのだが、この映画が凄まじいのは、そこで終わらせることなく、むしろ「その後」に主題を持ってきたことだ。「部屋に帰りたい」。とても小さな、ときに辛いこともあった、それでも、母とふたりの完璧な関係を保てた「部屋」に回帰したがる子。それもちろん、一種の子宮回帰なわけだが、そんな子に手を焼く母もまた、自らの経験を消化しきれず、自らを、他者を、そして大切な大切な子さえも傷つけてしまう。善人面したジャーナリズムの残酷さもリアルすぎるぐらいにリアル。

だからこそ、そんななかで少しずつ成長していく子の姿に涙ぐんでしまう。レゴで遊べるようになること。憧れのペット。海。空。本物の世界との出会い。そして友達。ひとつひとつのシーンが信じられないぐらい美しい。

ラストシーンも見事だった。ずっと狭かった画角がひっきに広がり、俯瞰のショット。見事。ほんとうに見事なラストシーンだった。映画って本当に素晴らしい。