港町

金曜の夜がぽっかり空いて。何かやってないかなーと検索したら会社から一番近い映画館(イメージフォーラム)で想田さんの新作が上映されていた。ありがたい。

なんだかんだで「演劇」以外は全部見てる想田さんの「観察映画」。今回の舞台は岡山県瀬戸内市牛窓。アート関係の人なら「牛窓アジアトリエンナーレ」で聞き覚えがあるのではないだろうか? 高齢化が進む、瀬戸内の小さな漁村。

そして今回の「観察」はモノクローム。いつものことながら、想田さんのカメラは容赦なく被写体に寄っていく。観察の対象にぐぐっと踏み込んでいく。不躾に、あるいは残酷にさえ感じられるカメラワーク。そして同時に、これはいままでも思ってはいたんだけど、カメラマンとしての想田さんはとてもつもなく優秀で。想田さんの「観察」がどこに向かっているのか観ていてよくわかるのは、画角、被写界深度などが実に適切だから。これだけ瞬時にピントを取れる、つまりはカメラと身体が一体化してるカメラマンって、そうそういない気がする。今回の「港町」ではモノクロームを採用したことで、そうしたテクニカルな意味での想田さんの撮影能力が余計に際立って見えたと思う。

小さな島々が浮かぶ瀬戸内の景色、繰り返される手の仕事、老人たちの混乱した会話。そして猫。想田さんが捉える艶かしいモノクロームの映像の美しさに陶然としながら、なんて寂しい風景なんだろうと思った。この映画は寂しさについての映画、今の日本を覆う、得体の知れない寂しさについての映画なのだろう。

終わりゆく人生。終わりゆく産業。終わりゆくまち。映画に映し出されるのが一般的にいうところの「寂れた風景」であることも間違いない。しかし想田監督の「観察」は、もう少し深いところにあると思う。いつのまにこの国はこんなに寂しい国になってしまったんだろう。なんでこの国はこんなにも寂しいのだろう。カメラを回しながら、被写体に向き合いながら、想田さんはそんな疑問、あるいは怒りに近い感情を覚えていたのではないだろうか。

静かな余韻が残るまま渋谷まで歩く。極彩色の再開発。人の波。牛窓とは似ても似つかない都心の風景。しかしこの街をあるく人たちもまた、牛窓の老人たちと何ひとつかわるところがない。ひとりひとりはとても寂しくて。孤独で。その孤独や寂しさを紛らすように、僕たちは永遠と喋り続ける。歩き続ける。

ラストシーン、わいちゃんの船がカラーでうつしだされるシーンをどう見るべきか。混沌のなかに残る一筋の希望?? 希望を捨てるなというメッセージ?? 素直に受け取るとそうなのだろう。ただ僕はもっと単純に、それでもひとりひとりの人生は美しいと。そう思った。美しい映画だ。