ヒックとドラゴン

号泣メーン!

最近のアメリカのCGアニメのレベルの高さは何なのでしょう。ピクサーはますます凄みを増してるし、ドリームワークスもまたしかり。ピクサーと比べると大人風味な物語もステキだし、3Dで気持ちのいい絵をつくることに関してはピクサーより上かも。ヒックが初めてドラゴンに乗って空を舞うシーンの気持ちよさは異常。これは映画館で、3Dで観るべき映画。

ただ若干、というか実は本質的なことかもしれないけど、いいたいこともなくはない。

この話は幾重ものテーマをはらんでるけど、本筋は「父と子」の物語。強大な「父」の庇護(=抑圧)の下にいる弱い存在としての「子」が、さまざまな冒険を通し、自らの思い、自らの力、自らの考え方(それを総合してアイデンティティといってもいい)を獲得し、やがてそれが「父」にも理解されていく(父のほうも成長していく)という筋立ては僕も大好きだし、乗り越えるべき存在としての「父」の描き方なんて最高に良くできていたと思う(既成の価値観の擁護者であり、象徴であり、その価値観の中にいるからこその王である父、村上春樹の言葉でいえば「壁」)。立ちはだかる壁に圧倒される子(こちらは村上さんの言葉でいえば「卵」)の複雑さや決心もビンビンに伝わってくるし、最終的に「父と子」がともに獲得したアイデンティティが「共存」であることも素晴らしいと思う。

じゃあどこに文句があるのかというと、ドラゴン側の社会構造の描き方が粗雑だってことかな〜。個々のドラゴンのキャラクターの書き込みは見事だと思うんだけど、肝心の大ボスが良く分からない。女王蜂のたとえがでてくるけど、女王蜂の力の源泉は、その社会における唯一無二の「母」であることにあるはずで、ボスとドラゴンが実際の親子であるかどうかは置くにしても、少なくとも何かしらの共生関係はあってしかるべき。でもこの映画ではそうした関係性が省略され、ボスを単なる抑圧者として描いてるもんだから、見方によっては強大な権力に抑圧されていたドラゴンたちをヒックたちが救済する物語ともとれちゃうんだよね。必ずしもそれが悪いとはいわんけど、なんとはなしにアメリカ人がなんの疑問も抱かずに書くストーリーだよな〜と。フセインがいなくなればイラクの人たちも幸せなはず!みたいなさ。どこまでいっても放漫なやつらだなとか言ったら穿ちすぎですか。穿ちすぎですね。すいませんすいません。

まあそんなこと思いつつも、やっぱりドラゴンとのファーストコンタクトのシーンとか、はじめてドラゴンに触れるシーンとか、はじめて飛んだシーンとか、あとベタですいませんがはじめてのチューとか謝るお父さんとか、あちらこちらで涙腺決壊したのもまた事実。良く出来た映画だよ〜。ほんとに。
ちなみにこの日は吹き替えで観たのですが、日本版の演出にもほとんどストレスがなかったのも特筆しておきたい。

きっちりしたプロの仕事。堪能しました。