ヘブンズ ストーリー

4時間38分、この映画について語るときは、どうしてもこの尺の長さから語ることになるのだろう。予告編と休憩を含めると5時間を要する映画。

そして長尺の映画といえば、どうしても昨年の「愛のむきだし」を思い出す。しかし「愛のむきだし」と「ヘブンズ ストーリー」を見ている時間の過ぎ方はまったく異なっている。むきだしがジェットコースターだとしたら、ヘブンズは各駅停車。エンターテイメントとしての完成度はむきだしのほうが上だろう。観客の心を無理矢理にでも揺さぶる破壊力、表現としてのパワーという意味でも、「愛のむきだし」に軍配があがる。しかし登場人物ひとりひとりの感情のひだにじっくりと向き合う各駅停車の旅も決して悪いものではない。ピンク四天王といわれた時代から「人生」というものの本質的なややこしさや悲しみ、不可逆性を真摯にみつめてきた瀬々敬久監督の目線に寄り添う4時間半も、これはこれで文句なく映画的であり、代え難い感動をもたらしてくれる。

そしてそう、不可逆性。それこそがこの映画のキーワードなのかもしれない。

主人公は8歳のときに両親と姉を殺された少女。放心したままの少女は、テレビに映るある男に惹き付けられる。妻子を殺した犯人に対し「法律が彼を許しても、僕がこの手で彼を殺します」と語る男に。全9章の構成、この二人を軸にしながら、たくさんの登場人物たちの(不可逆な)人生が絡まり合っていく。押さえがたい「復讐」への渇望、その衝動の是非、行き着く先、もちろんそこも映画の大事なポイントだろうが、それよりも僕は、ほんの少しのことで転倒してしまう人生の儚さを想い、何度も何度も涙した。

とにかく登場人物の全てがリアルなのだ。安直に、物語上の必要からだけでキャラづけされた人(語り手にとって都合がいいだけの人)が一人もでてこない。殺された人、殺した人、赦しを求めた人、赦すことができなかった人、愛されたいと願った人、愛を与えようとしたのに与えることができなかった人、全ての登場人物の感情が単線化されることなく、整理のつかない感情として描かれている。ドロドロの、生の、感情。

それを表現しきった役者の演技や撮影も見事。特にロケーションはすばらしかった。東北の炭坑町の跡らしい山間の廃墟はすごい。あの風景を見つけてきただけでも映画としては勝ちなんじゃないかと思ったりもする。劇的に変化する四季の風景、足がすくむような屋上でのやり取り。山崎ハコの遠くを見つめる視線。役者とカメラ、全てのスタッフの本気がびしばし伝わってくる、すばらしいシーン。

がしかし、言いたいこともなくはなく・・・

いやいや、これほどまでに本気で撮られた作品、真摯な作品について、少しでも文句をつけるとはなんとおこがましいのかと、自分でもそう思うのではありますが、そこはほれ、素人の気楽さということで聞き流していただけるとありがたいのですが、やっぱりちょっと長過ぎるかな。。もちろん、単にテキパキとテンポ良いだけでは伝わらないものが伝わってくる映画ではある。凡長に引き延ばされたカットやエピソードがあるとも(少なくとも観てる間は)感じなかった。むしろこれだけ長い映画でありながら、「説明」は最低限に押さえられてると思う。良い意味で観客を信頼し、観客に結論を委ねた映画。

でもやっぱり終盤は・・・もうここで終わってもいいんじゃないって、何回か思ってしまったのも事実かな。これだけ丁寧に物語を紡いできたんだから最後まできちんと織り上げたいと思うのは作家として当然だと思うし、瀬々監督が最後に伝えたかったテーマが「再生」なのであれば、確かにあのラストシーンは必要・・・でも例えば「千と千尋」でよく言われる「あの電車に乗るところで終わってればもっと完璧だったのに!」みたいな感触はどうしても残ってしまう。最後の最後に観客を信頼しきれずに説明しちゃったんじゃないかって・・・そう思うと、凄まじい力技で「愛」に着地してみせた「むきだし」はやっぱりすごい映画だったなと思ったりもしました。

他にも、もうちょっとテンポに緩急があればとか、くすぐりとかサービスとかも大事だと思うとか、そのカットは狙いすぎじゃないかしらとか(その鳥のCGはいるの?とか)、細かい不満はなくもないのですが、それでもこれはすごい映画だと思います。公式サイトの中で紹介されているコメントのなかに「これは一人の作家が一生のうち一回しか作れない映画だ。(富田克也)」というものがありましたが、まさにそんな映画。

瀬々監督の本気、そして監督の気合いに答えた役者陣や撮影スタッフの本気には、5時間かけて向き合う価値が十分にあると思います。

5時間かかる映画なんて家じゃ観れないぞ。ぜひ映画館で。