ホンマタカシ ニュー・ドキュメンタリー

東京オペラシティ・ギャラリー。会期末ぎりぎりでみる。

個人的には大変楽しめました。いま、個人的な関心事が、この時代にアートがなすべきこと、アートにできることは何だろうということに向かっているから、そして、その「できること」のひとつが、アートによる社会観察かなと思ったりしているからかもしれない。

観察。ドキュメンタリーというと、とかく客観性とか真実性が問われる傾向にある。報道などにおいては特にそうで、確かにある程度の客観性のある情報(科学的な情報といってもいい)は僕らにとって重要だ。

しかし一方で、僕らは、より主観的というか、特定の作家の視点を通して社会を見つめることも求めているのではないだろうか。例えばマルレーネ・デュマスは、社会の深層に差別や偏見を顕在化させるという意味ですぐれたアーティストであり、観察者だと思う。アートにはそもそも客観性は求められていないし(それはアートに与えられた特権だ)、時には客観性よりも主観性を打ち出すことで、より真実に近づく、あるいは真実は何かを考えるきっかけを与えられることもある。

そもそも、真実性ってなんだろう。客観的に正しい事実なんてありうるのだろうか。

ホンマタカシの今回の展示は、そうした真実性に対する懐疑を強く打ち出していた。写真は(アート表現の中では珍しく)「真実」であることを前提とされているところがある。しかし果たして「写真」は常に「真実」でありうるのか。。

自らが撮影した写真と、モデルの家族が撮影したスナップをまぜこぜに展示した「tokyo daughter」でそうした写真の真実性に対する問題を喚起しつつ、それ以降にホンマが世界中で観察してきた社会を打ち出す構成はともて良くできていたと思う。

アートだからこそのドキュメンタリー。もう少しこのあたりは掘り下げて考えていきたいな。