花と魚/十七戦地

若いな〜というのが第一印象。やりたいことに技術が追いついていないところがあるという意味でもそうなんだけど、扱ってるテーマ自体はとても意欲的で、知り合いが制作をやってるからという以上の好感を持った。小劇としては決して少なくない登場人物それぞれのキャラクターを丁寧に描き、全てのキャラクターにちゃんと実在感を持たせている。クライマックスともいえる「花と魚」にあふれる海の風景も、少なくとも僕の中にはしっかりと立ち上がってきた。それも無粋な説明によるのではなく、あくまでも会話劇の中で、観客一人一人の心に自然に立ち上がってくるようにつくられていた。約2時間、退屈したところはほとんどなかった。人間観察の確かさ。物語の推進力の強さ。「本」にはしっかりと力があると思う。それだけに基礎体力がしっかりしている役者さんとそうじゃない役者さんの差がはっきり出てしまったのはちょっと残念だったかな。特に僕がみた初日は主役の男子が絶不調で、全体の足を引っ張ってしまったように思う。もっと頑張れ若者よ。

もうひとつ、結末についてちょっと違和感があったことはメモしておこう(以下ネタバレ)

この劇は、「根っこが腐ってる社会」がまるごとリセットされて終わってしまう。魚と人が入れ替わる。そこには確かに神話的なロマンチシズムがあるし、その神話的なリセットの舞台が「宮崎」であることにも深遠な意味を感じるんだけど、でもやっぱりちょっとキレイすぎるというか、今語るべき物語としては決着が安易すぎる気もしなくはないわけで。。。

それはたぶん311以降の自分の気分とも関係している。

テレビからもネットからもろくでもないニュース、それこそ根っこから腐った話ばかりが聞こえてくる毎日。霞ヶ関や永田町だけがそうなわけではない。もっと身近な社会、例えば僕が勤めている会社や所属しているコミュニティだって似たようなものだ。そこに蠢いてるのが悪党というよりは単に小心なだけの人々であることにげんなりする(ちなみにこの劇では、この「根っからの悪党はどこにもいなくて、みんながみんな、ちょっとずつ小心だったり、ずるかったりするだけ」という感じは的確に描かれていると思う)。

ただ、それ以上に僕をシンドイ気分にさせるのは、どうやらこの残念な世界はまだまだ続いていくらしい、ということだ。現実の世の中では、あらかじめ約束された終末がやってきたりはしない。原発が爆発しようが津波で何万人もの人の命が奪われようが、やっぱりこの世界は続いていくし、僕らはそんな世界を生き延びていかなきゃいけない。このなんともいえないシンドさの連続感こそが311以降のリアルなんじゃないかという気がしていて、だから僕は、この劇の結末には−それはそれでロマンチックだとは思いつつ−乗り切れなかったのだと思う。

徹底的にニヒリズムに立脚しながら「100年後にまだ人間が笑っていたら僕は嬉しと思う」と言ったヴォネガットの強度を思い出す。彼ならいま、どんな物語を語るのだろう。

そんなわけで、一部文句があったりはするわけですが、それを大きく凌駕する魅力がある劇団であったこともまた間違いない。そもそも、こういうテーマに真正面からぶつかっていくところに惚れちゃうよね。おじさんとしては(笑)。もうひと化けは必要だと思うけど、化ける要素はたぶんにあると思う。これからが楽しみな劇団。僕も追いかけていきたい。