監督失格

あまりにもずしんときたので何も書けずにいた。ようやく何かを書けるというか、書いてもいいかなという気になってきたので、書き始めてみる。ぼんやりと凄かったと書くだけになるのかもしれないけれど。

この映画は由美香さんの映画である以上に、平野さんの映画なのだと思う。あるいは「創作」とは何かを問いかける映画。あの北海道旅行をふりかえる前半もぐっとくるシーンが多いが、なんといっても後半の疾走感が凄まじい。

人が死ぬということはどういうことか。それを乗り越えることがどれほどに困難なことなのか。「例」の映像以降、苦闘する平野の痛ましさに共振してしまい、こちらの気持ちもかき乱される。

「何度やってもこのシーンがラストになってしまう。」

そうなのだろう。あまりにもきつい現実に押しつぶされそうになるとき、ノスタルジーとは言わないまでも、思い出のなかの最良の部分だけを何度となく思い出すことはよくあること(それはそれできついことなんだけど)

しかし追いつめられた平野は、そこから更に高く跳ぶ。思い出のなかに混濁することのロマンチシズムから脱却し、本気で由美香を乗り越えようとする。

もうこのあたりのシーンは涙でぐしゃぐしゃすぎて、時系列とかあまり覚えていない。ただただ、自転車で疾走する平野の叫び声だけが耳に残っている。そしてなんども映された「あの」シーンがフラッシュバックする。同じあの映像でありながら、その意味というか、質が変化している。自分をさらけ出すことの困難さ。そしてそれをやり遂げた人だけが到達することができる圧倒的な高み。由美香さんは死んでなお、平野を成長させ続け、ついに5年の歳月をかけて、平野をかつて到達したことのない高みに押し上げてみせた。エンドロールの矢野顕子の曲にまたも号泣してしまう。平野さんはまさに「しあわせなばかたれ」だ。「しあわせだよ だいすきだよ ほんとうだよ」。

終演と同時に拍手がおきる。ほぼ日本人ばかりの劇場で、ゲストが来てるわけでもないのに拍手がおきることってあっただろうか。レディースデイということもあってこの日は女性のお客さんが多かったが、結構な数のお客さんが涙をこらえきれずに泣きはらしながら席にうずくまっている。

そして劇場をでると、やけにすっきりした顔をした平野さんがお客さんを迎えていた。ここはポレポレですか(笑)。でも、これだけのものをつくあげて、さわやかな笑顔で、握手を求めるお客さんに感謝を捧げている平野さんを見ていると、なんだろう、ほんとにこの映画ができて良かったなーと思った。そして僕も、この映画が見れてよかったと。

噂に違わぬ充実したプログラム(誰もが言ってるけど、これはこの映画を見て感動した人はもれなく購入するべきです!どの文章を読んでも号泣必死)を購入し、矢野さんの歌詞が載ってるページにサインしてもらう。握手しながら「僕ももっとがっつりいいものつくりたいです」とだけ伝えた。いま思うととんでもない約束しちまったな。がんばらなきゃ。