サウダーヂ

なにはともあれもう一度観たい。たぶん観れば観るほどに好きになる映画なんだと思う。一度観ただけでもうすでにべた惚れしてるけど。。

僕にとって最も信用できる映画の語り手であるbiwacovic氏の感想が素晴らしかったので勝手にリンク。

でもさ、こんなのもう俺もうとっくに知ってたよ。東京にいたってそんなの肌で感じるよ。
http://d.hatena.ne.jp/biwacovic/20111024/1319469431

そうなんだよね。

正直にいえば、僕はこの映画にでてくる人たちとは少し境遇が異なると思う。貧乏貧乏っていつもぼやいてるけど、そこそこの給料が貰えるサラリーマンであることもまた事実で、青山でカタカナ仕事をして、都内に家だってある(35年ローンのマンションだけどさ)。日々の鬱屈から排他的な右翼思想に染まる人や女に手を挙げる人のことは軽蔑してきたし、まわりの友人たちを見渡しても、まあ貧乏な劇団員とか絵描きとか、そういうのは多いけど、なぜだかわからないけど自分のまわりにはたとえ貧乏ではあっても育ちは良いというか、礼儀作法も思慮分別もしっかりしてる人が多い気がしていて、だから僕が、この映画に出てくる人たちのことを「分かる」と言ってしまうのはちょっと違うような気もする。そう、違うような気がするんだけど、それでもなお、「僕はこの喪失感をとてもよく知っている」という気分になってしまう。少なくとも、社会的にも、個人的にも、あまりお付き合いしたいタイプではない彼らのことが、愛おしくてたまらなくなってしまう。

サウダーヂ。ここではないどこかへの郷愁。

彼らはいったい何に絶望しているんだろう。何を渇望しているんだろう。そして僕自身は。。。僕らを(あるいは彼らを)、まるごと持っていってしまう、巨大な、あまりにも巨大な空洞。

だからこの映画は、「過去」を現実からの逃避の場所として明確に設定してみせる。幸せな子供時代、幸せな故郷、それこそがサウダーヂの正体。未来をつかむぜ!って景気のいいこと言ってるのも、全部ウソで、空元気でしょ?どーせ。過去が美しいと思うヤツ、ここではないどこか他の国がいいと思うヤツ、アホみたいな政治家に騙されるヤツ、アホみたいなオカルトに騙されるヤツ、みんな弱くて、現実から目を背けている。だけど誰がそれをアホだと言える。暗い未来しか浮かばないことを、誰がダメだと言える?だったら「過去」しかないべよ。都合良く脳内で構築された「過去」だとしても。それをサウダーヂと呼ぶんだよねきっと。

僕は美化されるような子供時代も故郷も持たないけれど、それでもこの映画のクライマックスには激しく胸を打たれざるをえなかった。確かにあの頃は(それはそれでほんとにクソみたいな時代だったけど)まだ希望だけはあったのかもしれない。それさえもが失われてしまったいま、鉾と盾を持って全く無意味で理不尽な復讐を遂げることを、あるいは甘ったれた幻想のなかに逃げ込むことを、一体誰が非難できるだろう!!

帰り道、電車のなかでいかにもインテリ風のキレイな女性が上司?あるいは取引先かなんかの禿げ上がったオヤジに「あそこのフレンチには品格があって」とかなんとかしゃべり続けてるのが聞こえてきて、無性に腹が立って仕方なかった。

そして主人公のひとり、土方のセイジが「おれやりますよ」と言いながらスコップを堅そうな土に突き立てるシーンを思い出していた。

くそったれ。俺もやってやる。無意味だと笑うやつは笑えばいい。意味なんか知るかバカ。このどうしようもない空洞を埋めて生き抜くためには、掘り続けるしかないんだ。