光のない

ITI世界の秀作短編研究シリーズ:ドラマリーディング ドイツ編より、エルフリーデ・イェリネク作、林立騎訳、長谷川寧(富士山アネット)演出による「光のない」を観る。

リーディングと聞いて想像するものとは全く別種の舞台。普通に読めば2時間を軽く超えるという、分量としても内容としても分厚い本をわずか75分の「音」に圧縮する。もともとが身体表現を得意としている寧さんらしいといえばそれまでだが、そこにはおそらく制作サイドの「狙い」があったはず。「フクシマ」という重いテーマを畳み掛ける「音」で表現する。体感させる。それは確かにテキストのなかに深く潜り込んでいく正当派(?)のリーディングとは全く別のものだけど、第一バイオリンと第二バイオリンの狂騒的ダイアローグで成り立つこの本のもうひとつの正しい読み方なのだろうと思えたし、寧さんというキャスティング、75分でというサゼッション、そのひとつひとつに明確な意志、意欲が感じられ、素直に感心した。

役者陣では第二バイオリンを演じた(読んだという感じではないよね)菊沢将憲さんが素晴らしかった。ラップ調の本ということもあって、途中からはもう、いとうせいこうにしか見えなかったわけですが、そうそう、まさにせいこうさんを彷彿とさせる圧倒的な熱量。声質もラップに向いてるよね。後述するアフタートークでの落ち着いた応対も見事。

対する第一バイオリンの岡田あがささんは、多分もっと静かなお芝居のほうが合う人なんだろうな。ちょっとラップをやるには声が細すぎて、まったく彼女のせいじゃないと思うけど、少し物足りなさを感じてしまったかも。

脚注を読んでた福島彩子さんはどこかで見覚えがある感じがしたんだけど、きっとニブロールかな。きれいな身体だった。

あとは音楽の辻凡人さん。彼がもう素晴らしかったのだ。リーディングで音楽が素晴らしいってなんだよって話かもしれませんが、まあ素晴らしいものは素晴らしい。ちゃんとテキストが読めている人にしかできない「伴奏」だったと思う。

で、アフタートークね。名前は分かりませんが、みんなから先生と呼ばれていたおじいさんが「こんなのリーディングじゃない、まったくもって不愉快」みたいなことを冒頭から発言されていて、「テメエの話を聞いてるじゃないんだ」みたいなヤジが客席からも飛んだりして大盛り上がり(笑)。進行する側は気が気じゃなかったかもしれんが、観てるほうはたいそう面白かった。

早口で何言ってるか全然わかんないしとか、不自然な外国語なまりが不愉快とかは僕には80年代のジャパニーズラップを巡る論争の焼き直しに感じました。今回の舞台の「ラップ」としての完成度が高いとは僕も思わないけど、ああいうおじいさんにDisられてこそ新しい表現は育つんだと思うし、まあ僕が言わなくても気にしてないと思うけど、寧さんとか制作さんには、今後もガンガン、意欲的にチャレンジしてほしいなと思う次第。

刺激的な舞台でした。

(追記)
件のおじいさんの指摘でむしろ気になったのは「判決をください」というラストにも問題がある、みたいなことをぼそっと呟かれていたこと。あれは僕も戸惑った。どう「読め」ばいいのだろうって。容易に想像できるのは「カラマーゾフ」のラストとの重なりだけど、、、最後の最後は「民衆」の「判決」に委ねられることの宙づり感?? うーん、どうなんだろう。ちょっと本を追ってみたいな。