陸前高田へ

震災から9ヶ月以上がすぎて初めての訪問。畠山直哉さんの出身地。あの写美でみた展覧会の、あの場所。

盛岡からレンタカーで移動したんだけど、途中、花巻から遠野のあたりは一面の雪景色だった。そうだよね。三陸のこのあたりは海の直前まで山が続いている。西からの湿った風は、秋田の豪雪地帯ほどではないにせよ、太平洋側と思いがちな岩手の東部、三陸沖の直前まで雪を運んでくる。どこまでも寂しい遠野の風景。物語のふるさと。なるほど、この風景の中で暮らしていたら物語を編むしかないよな、とか、ぼんやり思う。宮沢賢治の、イーハトーブ

遠野から先、陸前高田市にでる直前まで、海にせまる山を下りきり、雪があがり、晴れ間がのぞきはじめるまで、実は地震の爪痕はほとんど感じられなかった。しかし、カーナビが海まであと数キロという表示を見せるころ、徐々にプレハブの建物やブルドーザーが目立ちはじめる。予兆のようなもの。そして。

海が見えたときに眼前に広がる風景は想像を絶していた。もちろん、報道、それ以上に畠山さんの写真で、この風景は何度となく目にしている。「知識」としては、いまだに瓦礫が積み上げられたままで「復興」の段階には至っていないことも知っている。しかし実際にこの目でみる風景は。

ほんのいくつかの建物(ただそれも、ひしゃげた建物ばかりなのだが)がぽつりぽつりと残るものの、事前にイメージしていたより、遥かに広いエリアに、なにもない。ほんとうにまち全体が流されてしまったんだな。。。


入り江の一番奥、山を背にたつ小学校。建物が残っているのがかえって生々しい。あの日の14時46分18秒、あの建物に何人の子どもたちがいたんだろう。何人助かったんだろう。生き延びた人だって。いったいどんな思いで、この風景をみているのだろう。圧倒的な風景を前にして自分は何をしにきたんだと思わずにはいれない。アート?なにそれ??


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今回は横浜でやった「スマートイルミネーション」の《ひかりの実》を届けるためにこの地にきていた。アーティスト、高橋匡太さんの作品。匡太さんが丸をドローイングした果実袋に、子どもたちが笑顔を描き、LED電球をいれて樹木に飾り付けるプロジェクト。三陸でのイルミネーションを計画している人と縁があり、横浜の小学生が描いた笑顔を陸前高田市に届けることになったのだ。もちろん三陸でも子どもたちに笑顔を描いてもらおうということになっている(ちなみに陸前高田の子どもたちが描いた笑顔は年末年始に横浜の山下公園インスタレーションされます)。

会場となっている仮設住宅に向かう途中。小学校高学年、あるいは中学生だろうか。4、5人の子どもたちの下校風景に出会った。彼らの顔は一様に明るい。その笑顔にはどこにも無理をしている風情がなく、東京からふらっとでてきた程度で弱気になれてる自分を恥じる。折れそうになる気持ちを自分でひっぱたたきながら辿り着いた会場。そこではすでに匡太さんたちが、子どもに絵を描いてもらうワークショップをはじめていた。

そこには間違いなく「日常」があった。もちろん、仮設住宅の集会場という環境も、アーティストと一緒に絵を描くという体験も、「日常」ではありえない。しかし、そんなこと以上に、ここには間違いなく「生活」があって、そこに暮らす人たちそれぞれの「人生」が続いてるんだってことを強く、強く感じざるをえなかった。《ひかりの実》を木の高いところにつけようとしている小さな女の子を抱きかかえる。ありがとうとか言ってくれるわけでもないけど、また次の実をつけようとして、その女の子が僕のところにやってきて、足をつつく。そうだ。こうやって人生は続いていくんだ。

帰り道は遠野の雪をさけ、一ノ関から仙台にむかった。東北道を南へ。あの海があるほう。東の空にはとびきり明るいオリオン座が輝いていた。