ル・アーブルの靴みがき

本年の映画はじめはユーロスペースにて。アキ・カウリスマキの新作と、ゾンビデオを連続で観るという、どういう劇場やねん、というか、それを嬉々として両方観に行くあんたはどんな趣味やねんという二本立て。

最初は、久々に新作を撮ったカウリスマキ「ル・アーブルの靴みがき」。相変わらずこの人の映画は絵がきれい。映画に限らず、北欧の人は水彩画的というか、全体に淡く、グレイな色調を好む印象があるけど、だからこそ、ポイントで使われる暖色が効いてくる。今作では黄色いドレスがひとつの重要なアイテムになっているが、その黄色の鮮やかさときたら!!画角のひとつひとつ、表情の捉え方のひとつひとつに確かな狙いを感じる。まさに絵で語る職人。

お話のほうも相変わらずのカウリスマキ節。社会的なテーマを扱いつつ、それを誰もがリアリティをもって体感できる(共感できるでもいいんだけど、出演者たちの体温までも感じさせてくれるような共体験という意味で体感と言いたい)ヒューマンドラマに落とし込む。持ち前のブラックユーモアも健在。しかしその笑いは、冷ややかなようでいて温かい。人間性に対する深い信頼。カウリスマキのなかにあるその信頼が、最小限に押さえた演出、淡々とした、しかし起伏に富んだストーリーの中で見事に浮かび上がってくる。そして最後は(やや唐突ともいえる)ハッピーエンドがやってくる。

人によってはその唐突なラストをあまりにもご都合主義的だと感じるかもしれない。あるいは全体に揺るぎなく漂う性善説によった登場人物の描き方を「退屈」だと感じることもあるだろう。僕も基本的には、もっとひりひりとした、人の中にある偽善や悪意をあぶりだすような映画、あるいは芸術全般を好む傾向にあるかもしれない。

しかし僕は、このような映画もあってほしいと強く思う。映画は(あるいは映画を含む芸術全般は)、つらすぎる現実からのしばしの逃避行でもあるのだから。

劇中で描かれるご近所さんたちの連帯はとても美しかった。恥ずかしながら僕は難民問題にはずっと関心があって、勉強もしたし、支援活動をしている人たちとも付き合いがあったが、そうした人たちが持っている熱い正義感とはまたちょっと違う感覚。社会的な正義感からではなく、ごく自然なこととして、隣人として、助け合うこと。もちろん真摯に難民問題に取り組んでいる人たちとどちらが上とか下とかいう問題ではないが、この映画に登場した人たちはとてもかっこ良く見えたし、そして何より、幸せそうに見えた。そう見せるのが、今作の狙いでもあるのだろう。

そう考えるとあの唐突なハッピーエンドも必然と思えてくる。実際にはあんなに上手く行かない。そりゃそうだろう。そうだろうとも。しかしカウリスマキは、そんな現実を十二分に見つめたうえで、あのハッピーエンドを選択している。映画のなかぐらいハッピーエンドであったっていいじゃないかと言っている。

映画においては、ハッピーエンドこそが、現実社会に抗う強烈なカウンターになりうるのだ。