恵比寿映像祭

久しぶり(たぶん初回以来)の恵比寿映像祭。

最近、昭和初期の歴史に関する本をまた読みあさっていたこともあり、冒頭の「写真週報」はとても興味深かった。1945年に向けて段々と表現がストイックに、悪い意味での真剣さに満ちていく感じも怖いけど、それ以上に、戦争初期の朗らかな表現の方が怖いのかもしれない。私たちはどうしても戦争末期の一番凄惨なころを戦争の全体像として捉えてしまうが、実は初動期は空前の好景気にわいていたのであり、軍需産業だけでなく、一般庶民もまた、その恩恵に浴していた。写真週報の表紙は、その雰囲気をよく伝えていると思うし、その明るい雰囲気には、僕たちが子どもの頃に見せられた陰惨な戦時生活の映像以上の怖さが潜んでいるのではないか。

その他ではシェイラ・カメリッチの作品が良かったな。彼女自身のポートレートに、国連保護軍(だったかな、、、)としてサラエボに来ていたオランダの兵士が残していった落書きを重ねた作品。「くそみたいに臭う、ボスニアガール」。映像というメディアはその特性上社会に対する批評性を有したものになりやすいのだが(というか、そういう批評性がない作品はつまらないよね)、彼女の端的な表現は、今回の出品作品の中でも一際切れ味するどく、ずしりと重いジャックナイフのように、私たちの現代に突き刺さっていた。

ただ。。やっぱりこの展覧会も続けていくことの難しさに直面しているかもしれないなとは思いました。もともと比較的難解な作品が多いイメージだけど、今回は特に「ダイアリー⇄パブリック」というテーマもあってか、ジャーナリスティックな作品、批評性を全面に押し出した作品が多かったと思う。決してとっつきやすいとはいえないテーマ、セレクションを補うためか、やや過剰とも思えるほどの説明が作品毎に付けられているんだけど、それもまた難解で、、、

難しいからダメだとかいうつもりはないし、ポピュラリティに寄り添えだなんて全く思わないけど、でもなんだろね、この映像祭だと少しだけ、難解さに逃げてしまってる雰囲気を感じてしまうのかも。悪い意味でSTUDIO VOICEみたい、みたいな。

そういう意味でも屋外、あのガーデンプレイスの大屋根の下に設置されていた鈴木康広さんの作品は、ちゃんと分かりやすく美しくできていて、やっぱりさすがだなと思いました。