クロニクル1995− @東京都現代美術館

先にあげた[宇宙×芸術]展とあわせてMOTが開館20周年を記念して展開しているシリーズもののコレクション展を拝見。良い評判は聞いていたのですが、これが予想以上に良かった!!

1995年。MOTが開館した年ということですが、この年は個人的にも大きな節目となった年だ。

1月の震災、3月の地下鉄サリン事件。激動の3ヶ月は、単なる夢見がちなバンド少年でしかなかった自分が就職を決めた時期と重なる。そのときには「働く」ということに対してさほどの思い入れも覚悟もなかったと思うが(ゆるめに仕事してバンド続けられたらいいな〜とか思ってた苦笑)、自分でも意外なほど仕事は自分にあっていた。熱中した。音楽もしばらくは続けていたけれど、どっからどうみても、自分からみても、音楽よりは今の仕事のほうに自分の適正はあった。いま僕は、この仕事でなんとかメシが食えていることを本当に幸せに思っているが、そんな今の生活の起点となっているのが1995年なのだ。

そんな1995年を見つめ直す展覧会。コレクション展ゆえ目新しい作品があるわけではない。それでも都現美のコレクションの質の高さ、センスの良さは実感できるし、なにより切り口の鋭さが印象に残る。基本的には時系列で、1995に至る社会状況と、その後の現代美術の状況を俯瞰しているのだが、取り上げられる視点やトピックのひとつひとつ新鮮で、作品に含まれた意味が改めて立ち上げってくるのだ。そしてあの特別な年の雰囲気が、まざまざと浮かび上がってくる。

なるほど自分にとってだけでなく、日本全体にとって、1995年は分水嶺だったのだろう。敬愛する半藤一利さんの40年周期説に従えば95年の10年前、1885年から日本は衰退の40年に向っていることになるのだが、多くの人が社会のパラダイムが変わりはじめたことを自覚したのはむしろこの頃だったと思う。展覧会でも取り上げられていたインターネットの登場、雇用の変化。分かりやすい変化もたくさんあった。しかし1991年のバブルの崩壊が単なる周期的な景気変動ではなく、長く続く夕暮れの始まりであることを誰がもはっきり自覚しはじめたことが最も大きいのではないか。この展覧会を観ていると、自分のキャリアが衰退の20年とともにあることを改めて意識する。

しかし展覧会をみながら思い出すのだが、そんな暗い予兆の一方で当時の若者である僕たちにはまだ「希望」もあったとも思うのだ。確かに景気は悪かった。就職も大変だった。それでも当時の若者である僕らはまだどこか、実力さえあれば自分だって金持ちになれるみたいな、社会がどうあれ自分は自分の力を発揮してやるといった野心や希望を持ち得ていたと思う(そんな希望もやがてゆっくりと確実に破壊されていくのですが・・・)。

それが必ずしも良いことかどうかは分からない。ひょっとしたら成長幻想から自由になった今の若者こそ、これからの(成長しない時代の)生き方を提案しうるのかもしれないし、そうでないとしても僕の身近にいる若者たちは、僕自身の若い頃よりはるかに元気で意欲的だ。何も心配することはない。のかもしれない。しかし一方で、成長への幻想が失われるのと反比例しながら、社会に対する徒労感が強まりつつあるのはやはり気になってしまう(そしてそこにつけ込むような安倍政権のやり口にもほんとうに腹が立っている!!)

成長しない時代をどう生きるか。難しい課題だと思う。哲学的なことの前に現実的に解決しなければならない経済の問題、社会の問題がたくさんあると思う。しかしそんな時代だからこそ、芸術がなすべき仕事もまた、たくさんあるだろう。

話が広がりすぎているので無理矢理終わりますが、この展覧会をみて改めて、自分のこれまでのキャリア、これからのキャリアを思った。何ができるかは分からない。しかしあの1995年、僕はたくさんのことを考えた。考えること。考えたことをコトバにすること。それだけは何があっても続けていこうと思う。