紙の月

桐島、部活やめるってよ」の吉田大八監督作品。今回もまた、理解されにくい人生が映画のなかで疾走する。

僕は吉田さんの映画では「桐島」以外にもうひとつ、「パーマネント野ばら」も大好きなのだが、「紙の月」を含む三作品はいずれも、グランドホテル形式と呼ばれる構造を持っている。特定の空間に集まるさまざまな立場の人と、その関係性を描く群像劇。パーマネントでは「田舎町」が、桐島では「学校」がグランドホテルだったわけだが、紙の月では「銀行」がグランドホテルとなる。

吉田監督の作品はまず、このグランドホテルの選び方が秀逸だと思う。映画のテーマと密接に絡む絶妙な舞台を設定し、基本的にその舞台の範囲内で物語を進めていく。そういうと「狭い」映画と受け取られるかもしれないが、舞台が持つ特有の空気をこれでもかというほどリアルに描いていくことで、その閉鎖的な空間を広く普遍的な「社会」の縮図として提示してみせる。

そのリアリティを担保しているのが、グランドホテルに集う人々のキャラクター設定の巧みさだろう。パーマネントと桐島では、登場人物のキャラクターが少しずつ原作から改編されていた。そしてその改編が、「映画」というメディアに絶妙にマッチしていた。紙の月の原作は未読なのだが、聞き及ぶ範囲では今回もまた、対をなす存在である小林聡美大島優子、そしてその二人の間を所在なげに彷徨う宮沢りえのキャラクター設定には原作からの改編があるらしく、その改編が「映画」的にとても上手くいっているようだ。

とにかくこの三人の演技が素晴らしかった。台詞に頼ることなくちょっとした目線と仕草、あるいは小道具やメイクの変化だけで三者の個性と関係性を説得してしまうのはまさに吉田流。ひとりひとりのキャラクターが事前にしっかりと深堀りされているからこそ、そしてそれが監督と役者、スタッフの間で共有されているからこそ、こうした微細な演出は可能になるのだろう。

そしてその素晴らしく繊細な設定、演出、演技の積み重ねから生みだされるクライマックスの爽快さたるや!!

吉田監督はいつも(冒頭にも書いたとおり)「理解されにくい人生」が走り出す瞬間を描いている。今回の主人公も不倫のすえに横領に走る主婦ということで、誰もが共感できるキャラクターではないはずだ。むしろ桐島の前田君が映画ファンならある程度共感しやすいキャラクターだったのに比べると、今回の作品はより共感し難いキャラクターといえるだろう(だからきっとこの映画は桐島ほどにはヒットしないだろう)。

しかし今回もまた、クライマックスはとてつもなく爽快だった。桐島の「あの」屋上シーンで「そうだ、ぶっ殺せ!」と喝采をあげたのと同じく、今回もまた僕は、あのとてつもなく美しい疾走をみながら、「そうだ、逃げろ!!どこまでも逃げてしまえ!!」と叫んでしまった。

それはきっと、桐島で学校的なヒエラルキーなんてほんとにくだらねえ!!ってことと同じように、僕らが普段信じているお金に関するモラルなんてほんとにくだらねえ!!っていうこの映画全体のテーマに共振してしまうからだ。

もちろん監督は横領を「正しい」行為だとは描いていない。横領は完全に犯罪だし、どんな理由があれ、彼女に搾取された被害者が存在する以上、彼女の行為は許容されない。そして実際に、彼女は社会的に破綻してもいる(この共感しつつも救済しないセンスが如何にも吉田さん!)。

しかし彼女の横領を通して提示してみせた「お金のモラル」に関する疑問符は見るものを深く揺るがす。しょせんはお金は水物なのだ。貨幣なんて紙の月にすぎない。彼女は、彼女の倫理観に従って、金を使ってみせた。鮮やかに。とてつもなく鮮やかに。

サイドを固める役者さんたちの好演も素敵でした。池松壮亮くんが演じた調子こいちゃう大学生には(過去「ひも」に近い生活をしてきたバカのひとりとして)色々言いたいことがあるが、彼が最後まであんまり傷を負わなかったりするのもまたリアル。

桐島以上に理解しにくい主人公ゆえ、桐島ほどの熱狂は起こらないだろうが、10代男子の次が30代既婚女性というあたりも含め、その題材選びから提示の仕方まで、吉田監督の手腕には強く共感する。音楽も相変わらず良いですね。

僕的には大好きな映画でした。