アメリカン・スナイパー

どすんときた。沈黙のエンドロールがおわり客電があがる。満席の劇場が静まり返っている。私もまた、映画が終わってしばらく動けなかった。六本木から乃木坂に向う。神経がひりひりする。見慣れた景色の全てがいつもと違ってみえる。何をみても、何が聞こえても泣けてきてしまう。こんなに深い余韻が残る映画、ほんとうに久しぶり。

戦争PTSDものはクリント・イーストウッドの十八番。とはいえ、この映画の出来映え、というか重苦しさはこれまでのイーストウッドの監督作のなかでも最上級ではないだろうか。

戦闘シーンの迫力とリアリティ。最小限に絞られた台詞の深み。つきつけられるテーマの奥行き。なにをとっても、映画として、芸術として、これほど完成度の高い作品にはそうそう出会えないと思う。御歳84にしてまだ過去最高を更新し続けているイーストウッド。怖い。怖いよ。

ようやく気分が落ち着いたのは千代田線から小田急線に乗り換えるあたり。町山さんのPodcastを聞き直してみる(http://miyearnzzlabo.com/archives/22576)。この映画を批判する左翼、右翼の話。どっちもバカだと糾弾する町山さん。ほんとだよ、いったいぜんたいどんな見方をしたらこの映画が戦争賛辞に見えたり、ヒーローの物語に見えたりするんだ??(とはいえこれみてスナイパーかっけえ!おれも撃ちてえってなる人がいることもまた事実なんだろうけど・・・)。

戦争映画はことほどさように難しい。難しいのだが。町山さんがイーストウッド自身のインタビューでの発言として紹介している言葉が印象に残る。『調べて、徹底的に調べていくと、戦争なんかできないんだ』。そう、イーストウッドは映画を通して僕たちに問いかけている。考えろ!考えろ!もっとしっかり考えろ!!

沈黙のエンドロールは私たちに与えられた思考の時間だ。