お盆の弟

まったくノーマークだった(最近、こういう映画に詳しい人との会話が減っていて、、、)のですが、盟友に紹介されさっそく劇場に。

同じ日に見た「ジュラシック・ワールド」とはあらゆる意味で対極にある映画。予算という面でも、お話のサイズとしても、とてもとても小さい映画。とはいえ、決して一部の人に向けた内輪受けの映画ではない。映画が捉えている射程は決して小さくない。そして僕のなかに長く残る映画は、間違いなくこちらだろう。

あらゆる意味で「むきだし」な映画だった。明らかに作り手自身が投影されている、売れない映画監督と脚本家。40代を目前にして、まだ「夢」のなかにいる監督。この映画は、そうした作り手たちに寄り添いつつ、決して彼らを甘やかさない。作ることへのロマンを肯定したりもしない。ただなんとなく、惰性として、作り続けている人たち。いや作り続けることさえしていない作り手たちのリアルを、飄々と映し出していく。劇中にでてくる「もっとさらけ出す」という言葉は、まず間違いなく、大崎章さん自身が言われた言葉なのだろう。この映画の美しさは、作り手が陥りがちな甘えたロマンチシズムに耽溺することなく、過度に自己を否定するのでもなく、ただただ静かに、しかし容赦なく、惰性のなかにいる彼らーあるいは僕らーの日常をむきだしにしてみせたことにあると思う。それは監督にとって自らの自意識をさらけ出す作業であったに違いなく。だからこそ、この映画は痛い。とてつもなく痛い。

しかしそんな生き方のなかにも、ほんのすこし、美しい瞬間があったりする。この映画では、そんな仄かな美しさが、モノクロームの画面のなかで色を帯びて描かれる。小さな小さな物語のなかで、一見たいした意味もなさそうな何かが色を帯びているその瞬間、実は世界はとんでもなく美しいことに気づかされる。

渋川清彦、光石研の兄弟、とても味のある脚本家を演じた岡田浩暉の演技も素晴らしかった。そして渡辺真起子と河合青葉、後藤ユウミ。この三人の女優陣の演技はちょっと神がかってさえ見えた。全ての役者の身体が映画のなかでのキャラクターと奇跡的に一致している。それは冒頭の盟友の指摘だが、僕も本当にその通りだと思う。

そして。この映画を見ると、やっぱり自分のまわりにも結構たくさんいる、作りたい人たち、そう言ってるわりには何もしてない人たちのことを思わずにはいられない。彼らーあるいは僕らーに美しい瞬間は訪れるだろうか。現実はたぶん厳しい。少なくとも美しい瞬間を待ち望んでるようではダメなのだろう。

それでもきっと彼ら(僕ら)は作り続けるだろう。「やっぱお前才能あるし」。僕は最後の最後に脚本家がいうこのセリフがとても好きだ。「まだやんの?」。なかばあきれたように、でも心からの尊敬を込めてそういうセリフがとても好きだ。そう。続けられること、無駄に力むことなく、まるで息をするように続けられることこそが最大の才能なのだから。

前作から10年。とてつもなく長い時間を経て、飄々と、しかし真摯に、自分自身に、作品に向き合うことができた大崎監督に、とてつもなく美しい瞬間が訪れたことを心から祝福したい。この映画を紹介してくれた友人に感謝を込めて。