希望のかなた

新年2作目の鑑賞はうってかわってアキ・カウリスマキ

こちらはもう冒頭から映像の美しさにやられっぱなし。何気ない日常が、ほんとうに何気ない1カット1カットが「絵画」になってしまうカウリスマキのマジック。構図。色彩。光量。全てが完璧。美しい!!

内容としてもとてもカウリスマキらしいというか、平凡な市民生活を追いながら、そのなかにある社会的な課題、いまのヨーロッパでもっともシリアスな話題である「移民」を巡る社会の歪みを見事に切り取ってみせる。しかもあくまでもミニマルで、コミカルな語り口のなかで。例えばケン・ローチのような、真正面から「社会派」然としたシリアスな作風もそれはそれで悪くない(ほくば嫌いじゃない)けど、カウリスマキの語り口はなんというか、より深遠だ。

filmarksには「カウリスマキずるい」みたいな調子で書いてて、それはそれでもちろん本音なんだけど、やっぱり映画を観て率直に考えたことは、果たして日本社会は「移民」をどのように受け止める社会になるのだろうということ。ミクシイ時代にはいわゆるオフ会的なもので日本の難民政策の勉強をしたこともあったけど、良く知られているとおり日本の難民受け入れ基準は極端に厳しく、結果として(とても残念な意思決定の結果だけど)難民、移民との軋轢はヨーロッパほどにはシリアスになっていない、ようにも見える(という言説もある)。しかし水面下ではすでに外国人排斥の感情は広がりつつあると見るべきだろう。ネットだけでなく街頭にまで溢れはじめたヘイトスピーチ。それについてなかば同情的というか、そういう気持ちになるのも仕方ない、、、と思っている人がいることを実感せざるをえない空気。そしてそうした排斥を後押ししているかのような政府の発言。政策。そう遠くない将来、この国でもよりフィジカルに、移民や難民を攻撃する集団は現れてしまうのかもしれない(そう、入江監督が「ビジランテ」で描いたように)。

私たちがそうした「他者」を排斥したがる社会に直面したとき、そうした感情が支配的な社会に直面したとき、果たして私たちは、あの老人のように、冴えないレストランの店員たちのように、ボー・ディドリー・モデルをかき鳴らすギタリストのように、そしてあのトラック運転手のように、小さな親切、小さな善意を積み重ねることができるだろうか。

カウリスマキはあくまでも優しく、そして厳しく、私たちに問うている。