グレイテスト・ショーマン

TOHOシネマズ日比谷のでかいスクリーン初体験。素晴らしい映画館!映画自体も音楽とか美術とか、たしかに良かった。けど、お話はなあ。

バーナムが天才なのはいいとして、それにしてもバーナムとフリークスたちが舞台を作り上げる過程がまるっと省略されてしまっていて、なんつうかこう、エンターテイメントなめとんのか!って気分になってしまう。「高級」なエンターテイメントは結局白人女性の歌唱だったりするのもすごくいや。最後はやっぱり家族ですよみたいなオチもなあ。。

あれならまだ件の歌姫とくっついて家族もフリークスも捨てちゃうとか、あるいは更なる「高級」な才能と出会って歌姫のことまで見捨てちゃうとか、バーナムは才能はあったかもしれないけど人間としては最低な人でしたって話になってる方がまだ乗れる。まあ実話ベースなんだからあんまり脚色するわけにもいかんだろうけどね^^。

ただ例えばだけど『トランボ』にでてきたB級映画のプロデューサー。彼はすごくよかったよね。まわりのアカデミックな映画人たちにバカにされても、B級だZ級だと揶揄されても、とにかく客が入る映画をつくる。トランボが「アカ」だろうがなんだろうが関係ない。面白くて客が入る脚本を書けるから発注する。そこには正義感も福祉的感覚もない。自分の懐が温まることしか考えていない。しかしそのことが結果的にハリウッドから排斥されていたトランボを救う。それはすごくリアルだと思うんだよね。

この映画もうまく作ればバーナムをそういう存在として描けたと思うし、あるいはそういう人が欲に取り憑かれながら猛進し、でも道半ばで挫折を経験したとき、最初は利用するつもりだった(利用していた)フリークスたちに救われるって話でもよかったと思うんだけど、そういう風に見えないんだよなあ。。

やっぱりフリークスたちと舞台をつくりあげる過程、そこにあったはずの対立とか葛藤とか、あるいはそういうものを乗り越える発明とか、そこがないからいかんのよね。最初からうまくいきすぎ。これだとフリークスさえ集めてしまえば簡単にエンターテイメントはできる、みたいに見えちゃうし、結果としてバーナムのこともフリークスたちのこともひとりひとりの人間として描けていないと思う。エンターテイメントのプロフェッショナルであるはずの映画人たちがこんなにエンターテイメントを(あるいは人間そのものを)雑に扱ってしまうことに強くモヤモヤ。