六本木クロッシング2010展・芸術は可能か

六本木クロッシングは初回から全て観ている。
しかし、一度も「大満足」と思ったことがない。
作品によって「これは!」と思えるものは毎年あるが、
多くは「なんだこれ?」としかいいようがない作品。
正直、現代アートの一番ダメなところがでてしまっていると思う。

根底にある問題はテーマの曖昧さではないか。毎年テーマが設定されているのだが、今年は「芸術は可能か」なのだそうだ。この言葉自体はダムタイムの故・古橋悌二さんが残した言葉だそうだが、だとすればさらに、その言葉の扱い方の雑さに腹が立ってくる。まだ美術館での個展を開くところまではいってない、これからのアーティストをごった煮で紹介するのは六本木クロッシングの主旨ではあろうが、やはり展覧会としての「柱」がないと、観る人にとっては「何かおもしろげ」な作品を集めただけの、何がいいたいのやら分からない展示になってしまう。古橋さんが、古橋さん自身の表現の意義を問い直す言葉として「芸術は可能か」というのと、あらゆる要素を飲み込むためだけに、使い勝手の言葉として「芸術は可能か」というのでは、全くもって意味も深みも異なってくる。そのことに、この展覧会を企画した人たちはどれほど自覚的だったのだろうか。横浜トリエンナーレを観ても思うのだが、結局のところに日本人はごった煮の展覧会をつくるのが苦手なのかもしれない。テーマを考え抜き、言葉を考え抜き、それを具体的に表現するために、相乗効果をうむために、作品・作家をチョイスする、そこまでキュレーションの文化が進んでいないのかもしれない。まあそれは日本だけじゃないけどね。
今年もまた、米田知子さんや高嶺格さんなど、作家としての実力を感じさせてくれた作品はあったが、結局のところ、作家としての好き嫌い以外には何も感じるところのない展示になってしまっていたと思う。正直、卒展とかのほうがよほど面白いっす。

えっと、そこまでいうかというぐらいディスってますが、森美術館は個展では本当に質が高くて、これまでにも素晴らしい展覧会を数多く提供してくれているんですね。杉本博司、アネット・メサジェ、それぞれその年のベストにあげるぐらい、好きな展覧会でした。今年の秋には小谷元彦さんの個展が予定されていて、それはきっと素晴らしいものになるのだろうと期待してもいます。それだけ実力がある美術館だからこそ、美術館のシンボルとして続けてきている企画展がこのレベルかよ、っていいたくなってしまうんですよね。
きっちり客が入るものをつくらねばならないとか、色々事情はあると思いますが、せっかくの意欲的な取り組み(作家名や美術館の名前に頼るのではなくテーマとキュレーションで勝負する展覧会)なのだから、もっともっと頑張ってほしいな〜という応援のディスだと思っていただければ幸いです。