ホドロフスキーのDUNE

見逃した映画をいつも観させていただいている早稲田松竹。今回は「ホドロフスキーのDUNE」と「リアリティのダンス」を二本立て上映、ということで待ち構えておりました。ありがとう早稲田松竹!!

ホドロフスキーってノーランの対極にいる人だよなーと。荒唐無稽。実現性よりロマン。一般論としていえば、ちゃんと作品を仕上げるノーランのほうが偉いんだろうけど、僕はやっぱりホドロフスキーのロマンに感染してしまう。

映画としてはくそ真面目なドキュメンタリーで、うっかりすると寝てしまいそうになるほど平坦(というか二日酔いのうえ、昼飯をがっつり食べた直後に見たワタクシ、途中何度もうとうとしてしまいました、、、)。でもその淡々としたドキュメンタリーであるからこそ、ホドルフスキーとその仲間たちのクレイジーな逸話が際立って見える。

とても85歳には見えない饒舌なホドロフスキー。その語り口の熱さはなんだろう。とてつもなく楽しそうに、そしてとてつもなく悔しそうに、当時のことを物語るホドルフスキー。ただの誇大妄想なのではと思ききや、その熱量にやられたかつての仲間たちが彼の言葉が嘘でないことを立証していく。ダリとの交渉の経緯には失笑を禁じ得なかった。なんて奴なの!ダリ!!笑

デヴィット・リンチ版の「DUNEー砂の惑星」に対する語りもね。もうなんて信頼できるおじいちゃんなんだってね!! そうだよなー。そういうもんだよなー。ものづくりする人なんて(嫉妬深いひとでなしなんです、僕もそうだけど苦笑)

ものづくりを続けることに対して勇気をもらえる映画との評判は伊達ではなかった。ラストシーンに畳み掛けられる、「DUNE」が残した残滓の輝きの数々。たとえ失敗しても挑戦することには価値がある。そして僕らもまた、語り続けるのだ。