東京命日

各所で大評判の島田虎之介をようやく初体験。すっかりやられてしまっている。

今回読んだのは『東京命日』『トロイメライ』『ダニー・ボーイ』の三作品。どの作品も素晴らしかったが、最も複雑で、最もずしりときた(好みだった)のは『東京命日』だった。

映画的。というのは島田虎之介に関するレビューの定番らしい。なるほど僕もそう思う。緩やかな語りだしからタイトルが出てくるタイミング、断片的なようでいて丁寧に積み重ねられていくエピソード、カット割と台詞の組み合わせの妙、そしてクライマックスが近づくにつれて加速していく緊張感とそこから一挙に解き放たれるカタルシス。このクライマックスに用いられる技法(話のテンポをあげつつ、コマを細かく割って畳み掛け、一気に大コマまで持って行く手法)は三作品ともに共通していて、それ自体は珍しくもないはずなのだが、その独特の読み味はまさに「映画的」としか言いようがなく、どの作品も一読して完全に理解できる話ではないはずなのに、それでもなお、ここぞというタイミングで繰り出される大コマに、胸が締め付けられてしまう。ある種の映画のクライマックスがそうであるように、体の一番深い部分がきゅーんとなり、同時に弛緩する。深い余韻の中さりげなく付け足されるエピローグもまた、良質な映画のそれに似て、実に好ましい感触を残す(わざわざ書かなくてもいいんだけど、その流れは相性のいい性行為にも似てますね、はい)。

こうした作風と物語が最も効果的に響きあっていたのが(僕にとっては)『東京命日』だった。

読む前から小津安二郎の『東京物語』を連想するとおり、この物語は、とある小津の命日から始まる。CF制作会社の新入りディレクター、広告代理店の敏腕プロデューサー、ピアノの調律師、消防士、ストリッパーなどなど、さまざまな登場人物の「物語」が、バラバラに進行しつつ、ときにふと重なりあう。ひとつひとつの「物語」は現実にも良くありそうな、小さな小さな「物語」。しかし「今」を生きる彼ら彼女らが、「与えられた物語」を引き受けつつ、「自分の物語」を生きることを選びはじめたとき、全ての「物語」が一点に収束し、爆発する。すごい。ほんとうにすごい。

個人的には松本大洋をはじめて知ったときに近い衝撃を受けている。そもそものお話が複雑で、しかも(それこそ小津の映画みたいに)唐突にカット(コマ)の時制や場所が変わるものだから、お世辞にも読みやすくはない。嫌な人は徹底的にいやな作風だと思う。でも何度も読み返すうち、あちらこちらのコマに隠されていた伏線に気付くたび、ちょっと尋常じゃない物語の構成力に唸らされてしまう。

最初のページにでてくる和服の女性、、、最終ページ近く、墓場の奥に小さく見える女性はひょっとして、、、まだ2回通して読んだだけだが、読む度に発見がある。それでも鈍感な僕のこと、まだ仕掛けの半分も理解していないのだろう。徹底的に読み込んで、同じように読み込んだ人と語りあってみたい。久しぶりにそういう漫画に出会った。

日々すれ違っているさまざまな「物語」に、小さな祝福を。

東京命日

東京命日

トロイメライ

トロイメライ

ダニーボーイ

ダニーボーイ