あなたの人生の物語/テッド・チャン

グレッグ・イーガンと並び「今」を代表するSF書きとの呼び声高いテッド・チャン。遅ればせながらやっと読むことができた。
本作に含まれる中短篇は全部で8篇。その全てが素晴らしい独創性と知的ユーモアに溢れている。中でも表題作は、たった100pの中にSF的な想像力と文学的技巧が見事に溶け合い、えもいえぬ感動を読むものに残す。

この物語の根底にあるのは、物理法則に関する二つの見方だ。フェルマーの最小時間の原理。誰もが知っているように、空中を進む光が水中に入るとき、光は水面で屈折する。同時に、水中にある目的地を設定した場合、空中を出発した光が通る経路=屈折によって得られる経路は、その目的地に最速で到達する経路になっている。これがフェルマーの発見した最小時間の原理だ。しかしここには、良く考えると不思議な点(センス・オブ・ワンダー)がある。なぜ光は最速の経路を進むことができるのだろうか。目的地に最速で到達するためには、光は動き始める前に、到達する目的地を知っている必要がある。光は動きはじめる前に目的地を知っているのだろうか。

フェルマーの原理は、通常わたしたちが知っている因果律的な物理法則−原因や時間が積み重なって結果がある−ではなく、目的が先にあり、目的に向けてさまざまな物質がふるまう、合目的的な物理法則(より正確には物理の記述方法)がありうることを示している。因果律的な記述と合目的的な記述、その二つは全くことなる言語でありつつ、ともに矛盾することなく両立しうる。

そして、物語の主人公となる言語学者、ルイーズが出会うエイリアンの言語は、わたしたち地球人が使う言語−それは当然のことながら因果律的なものだ−ではなく、合目的的に記述された言語である。エイリアンたちは「そもそも始まりの時点から、行き着く場所を知っている」。そしてその目的地にたどり着くように言語を生成し、ふるまっている。

そしてルイーズは、エイリアンと対話するなかで、自らもまた合目的的な言語・認識を習得していく。この小説は、合目的な言語を身に付けたルイーズが未来の娘に向けて語りかける口調で書かれている。つまりは小説全体が、子育てに関する母親の完璧な預言となっている。彼女は「そもそも始まりの時点から行き着く場所を知っている」。自分の子育てが行き着く結末も、経路も、全てを把握している。そのとき、ルイーズはまだ見ぬ娘に何を語るのか。

エイリアンとの対話の中から獲得されていく新しい言語体系の美しさはこの中篇の白眉だ。その言語には、まるで曼荼羅のように、複雑な概念を一挙に表示する力がある。そうした言語を持つことの意味、また、その言語を地球人が習得することの意味に関するチャンの徹底的に緻密な検証は圧巻というほかない。

一考すると、予め書かれている物語を生きることは味気ないことのように思える。しかしチャンはそうは考えない。

子どもを産む日のことを思う(思い返すわけではない)ルイーズの語りに涙が止まらなくなる。「生まれてきた日のあなたをながめているときのことが心に浮かぶ」。そんな書き出しで始まるパラグラフは、子どもを育てている人には特に「くる」のではないだろうか。ベビーベッドに並ぶ子どもをみながら、その一人がまるでおなかの中でそうしたように、足をじたばたさせる。誰に教えられるでもなく母は確信する。「その女の子。その子がわたしの娘。」

テッド・チャンは、徹底的に厳密な理論考察と、類稀なストーリーテリングの力を融合させ、読者の心を揺さぶる「物語」を編み上げてみせた。

あのグレッグ・ベアが「チャンを読まずしてSFを語るなかれ」と書いているのは伊達ではない。テッド・チャンは、SFの伝統に立脚しつつ、その最先端に立っている。
古くからのSFファンはもちろんのこと、ちょっとSFは・・・と敬遠してきた文学好きにも、是非この本は読んでみてほしい。SFだけが提供することができる「センス・オブ・ワンダー」が、この本に詰まっているから。

(若干修正してます、元記事は09年5月に作成)