her 世界にひとつの彼女

マルコヴィッチの穴」「かいじゅうたちのいるところ」のスパイク・ジョーンズの最新作。

たまむすびでの町山さんの解説を聞いたときにイメージしていた映画と全く違う映画だった。町山さんはスカーレット・ヨハンソンが演じたOSについて、絶対に男が嫌がることをしない、なぜならOSには自我がないから、人を傷つけないようにプログラミングさているからみたいなことを強調されていて、まあ確かに前半はそんな感じなんだけど、むしろ大事なのは後半のほうで、そこでは(伝統的なSFと同じように)OSが自我を持ってしまうという設定を通して、コミュニケーションとは何か、恋愛とは何かという人類共通の普遍的なテーマを扱っている。もちろん町山さんもそんなことは先刻承知の上で、自我を持たないOSとはうまくやれることを強調しながら、自我を持つ相手とのコミュニケーションはなかなかうまく行かないというこの映画の本質をさらりと暗示されているのだと思いますが、いわゆる二次元ラブとか、ラブドールとの恋愛とか、そういう世間一般にはダメな恋愛が、あるいはダメな男性が、確かにダメなんだけどどこか可愛くもみえる、みたいな映画を期待して観に行くと痛い目にあう。

そう。この映画で描かれる男性のダメっぷりは決して特殊な嗜好をもつ特殊な男性のダメさではなく、全ての男性に通じる普遍的なダメさなのだ。自分のことを理解してくれると感じるとすぐに好きになっちゃう感じとか、好き好き光線がでている時期の底なしのアホっぽさとか、そのくせすぐに拗ねたり、嫉妬で相手も自分も傷つけたり。。。これはもう誰にとっても「痛い」としか言いようがないでしょう!! これは特殊なプロットを活かしながら普遍的なことを語るという意味で、SFとしても、物語としても成功しているわけで、あえていえば「ブルーバレンタイン」とか「500日のサマー」に近い映画なんですよね。すれ違うコミュニケーションのなかで飛び出す、いつの時代にも、どんな世界でも通じる名言、金言の数々。痛い。痛い痛い。そう。「イタい」というよりは「痛い」のです。この映画。

ただ、僕の場合はこの映画に乗り切れないところもあって、それはこのOSは明らかに僕の理想とは異なっているんからなんですよね〜。エロいのは大歓迎なのですが、やたらと先回りして気を遣われるのとか、特にあれ、自分が書いたものを勝手に出版社に持ち込まれるのとかはホントヤダ。。。自意識過剰とか責められそうですが、嫌なものは嫌。。。

というわけで、僕はサマンサとの恋にいまいち「乗って」いけなかったのでまださほどでもないのですが、サマンサに惚れてしまう人にとっては相当なダメージが残る映画かと思われます。最後には救いもありますし、そこで描かれるそれでも人はコミュニケーションを諦めないというテーマには号泣ものなんですが、まあ相当に「痛い」ことは覚悟して観に行ったほうが良いかと。つまりは「お薦め」です。