慈しみの女神たち/ジョナサン・リテル

上下巻あわせて約1000ページ。二段組。改行もほとんどなくびっしり埋まった紙面。そして大量の脚注。とりかかるのに勇気のいる本。いまは週末ぐらいしか本を読む時間がないこともあり、読了まで2ヶ月近くを要してしまいました。でも面白かったー!!

えっと、内容はナチスものです。ある架空の親衛隊将校の物語なのですが、物語の大半は現実のナチスの歴史に基づいており、実在の将校も200名ほど出てきます。まずはこの歴史的事実や、実在した将校たちのリアリティがすごい。膨大な歴史資料を読み込み、事実(ノンフィクション)に立脚しながら、物語(フィクション)を編み上げる。その勉強量、音楽や哲学などを含めた造詣の広さ、深さには素直に感服。こんな力作がでてきて、しかもそれが大ヒットするというフランス文学の地力を羨ましく思ったりもしました。

ただ、僕的には後発の「HHhH」のほうが好きかなあ。

まあなにせ、主人公があまりにもクソ野郎でしてねえ(苦笑)。超有名な「平凡な悪」という言葉に代表されるように、ナチス関連のルポや小説では、その犯罪の極悪さ、結果の重篤さに比して、実行者たちが実は平凡な官僚にすぎなかったという視点が提示されることが多い。この小説もそうした文脈を汲んでいる側面もあるけど、後半にいくにつれ、こいつには同情できねえ!!って気持ちが強くなってしまうんですよ。特に(この章が一番好きって人も結構いると思うけど)最終章のひとつ前、ひたすらに主人公の妄想が続く章ではなんでこんなに無責任に自分を甘やかしているやつの与太話を永遠と聞き続けなきゃいけないんだって気分になってしまいまして。。。いやもちろん、主人公が体験した地獄、その地獄が彼を身勝手な人間に変えてしまったのだ、彼もまた巨大な時代の狂気の被害者だという読み方もなりたちうるとは思います。ほんとうになんの特異点もない平凡な主人公とするのでははなく、幼児期からのトラウマ、近親への歪んだ愛憎とそれに由来する同性愛志向を描くことで、いかにも「ありがち」な「これを読んでいるあたなもまたそうありうる」という「道徳」に堕してしまうのを避けているのだろうとも思う。とはいえ、うっかりすると同性愛が彼の異常性や身勝手さの表出であるかのように読めてしまうのも気になるし、「HHhH」が、逡巡に逡巡を重ねた末にラストの数行で鮮やかな飛躍を遂げ、猛烈な感動をもたらすのとは逆に、ラストに微塵の爽快感もないのも辛いところ。そしてその結末に唖然としてあらためて最初のモノローグを見るとますます腹が立つというね^^

しかし考えてみればそういう後味にするほうが正しいのかもしれませんね。「正しい」という言い方が正しくない気がするけど、かつて人間がその長い歴史のなかで体験したもっとも不愉快な出来事をこれ以上なく不愉快に描く。それもまた小説なのだろうと思います。

しかし改めて。東部戦線の狂気は凄まじい。人間がどこまで残酷になれるのか。その残酷さはどのような経緯で生まれ、膨張したのか。膨大な脚注を頼りに、改めてナチスとはなんだったかのかを考えることもまた有意義かと思います。

慈しみの女神たち (上) (慈しみの女神たち)

慈しみの女神たち (上) (慈しみの女神たち)

慈しみの女神たち (下) (慈しみの女神たち)

慈しみの女神たち (下) (慈しみの女神たち)

HHhH (プラハ、1942年) (海外文学セレクション)

HHhH (プラハ、1942年) (海外文学セレクション)