盆唄

個人的に諸事情あるので(友人がプロデューサーで、映画にもでてくるカメラマンの岩根愛さんを紹介してくれことがあるのです、中江監督とは面識ありません)フェアな評価かどうかは置いときますが、、、じんときた。よくぞ完成させてくれた。


盆踊りは「輪」の踊り。櫓を中心に人が連なり、廻り廻る。その「輪」もしくは「渦」の意味についてはぜひレヴィ・ストロース先生や赤坂憲雄先生に深く解釈してもらいたいところなのですが、ひとまず櫓を囲む人の輪が「共同体」の象徴であることに異存がある人はいないでしょう。加えて自分が感じたことを言うとしたら、「個人の歴史を共同体と共有し、共同体の歴史を個人の身体に取り込む」行為でもあるのだろうなと。

原発事故で双葉を離れざるをえなかった人々。深刻な貧困から脱却するために日本からハワイに移住した人々。ひとりひとりのなかに内在する歴史。それは簡単には言葉に変えることができない、喪失の歴史。「盆唄」はそうした個々人のあてどない喪失を「渦」のなかにとりこみ、溶かしていく。大きな渦のなかに溶け込んだ喪失は歌となり、共同体の歴史へと昇華されていく。そしてお囃子と太鼓に乗った歌が、歴史が、櫓を廻る個々人の身体に再び還流されていく。この映画が美しいのは、そうした喪失と共有、再生の過程を過不足のない取材によって明らかにしているからだと思う。

わたしはもともと社会学出身なんでどうしても上記のような視点が中心になるのですが、重厚な歴史ドキュメンタリーとして、あるいは原発問題の闇の深さを改めて考える映画として、他にもさまざまな見方ができる映画だと思います。なんだか客の入りが悪いらしいですが、友人のためというのではなく、ぜひいま、観ておくべき映画だと思うぞ。全力でおすすめしておきます。


映画『盆唄』予告編